勁草書房創立70周年記念企画 「著者が選ぶ 勁草書房のこの3冊」 公開のお知らせ

勁草書房創立70周年企画

 勁草書房は2018年4月12日に創立70周年を迎えました。その記念企画として同月から1年をかけてフェア「著者が選ぶ 勁草書房のこの3冊」を全国の書店17店で開催してまいりました。フェアでは17名の著者の方々に選書と推薦コメントをいただき、店頭では選書された書籍を展示するとともに選者コメントを掲載した小冊子を配布し、好評のうち2019年3月に幕を閉じました。
 創業から71周年を迎え、このたび創立70周年記念フェア開催店でお配りした小冊子の内容を公開する運びとなりました。勁草書房がこれまで刊行してきた書籍6,500点の中から選ばれた書籍をご覧いただき、皆様の読書の一助となれば幸いです。(2019年4月12日)

● 「勁草書房のこの3冊」選者17名(五十音順・敬称略)の選書とコメント

※ フェアで完売し品切の書籍がございますのでご了承ください。
※ 選者の皆様の肩書は2018年4月現在のものです。
※ 【オンデマンド版】はご注文を頂いてから印刷・製本する書籍です。最寄りの書店でご注文くださいませ(一度注文するとキャンセルできません。詳しくは
こちらをご覧ください)。
※ フェア開催期間中に店頭で配布した冊子のPDF版をダウンロードできます。こちらをクリックしてください。


飯田 隆 
慶應義塾大学名誉教授、日本大学教授。専門は言語と論理の哲学。著書に『言語哲学大全Ⅰ~Ⅳ』(勁草書房)、『新哲学対話』(筑摩書房)など。


『猫とロボットとモーツァルト』 土屋賢二
土屋さんのユーモア・エッセイを面白いと思う人はぜひ、「本格的な」哲学論文を集めた、こちらの本も読むべきだろう。帯の文句「語り口は易しく水準は高く」通りの論文が揃っているだけでなく、くすっと笑わせるところにも事欠かない。特にすすめたいのは、本書の最後に置かれた論文「どうして分かるのか―赤色と行先」である。これ一つだけでも、本書を手元に置く価値は十分ある。


『心の哲学入門』 金杉武司
ひとをよい気持ちにさせてくれるような文句を提供するのが哲学ではないとわかっていても、現代の哲学が、あまりに専門的にすぎて、ふつうの人の理解を超えてしまっていると感じるひとは、案外多いような気がする。そうした印象を払拭してくれるのが、本書である。哲学での議論の仕方から、科学的知見を哲学がどう扱うのかまで、本当にていねいに手取り足取りで教えてくれる。


『フレーゲ著作集2』 フレーゲ著 野本和幸・土屋俊編
全六巻から成る『フレーゲ著作集』は、わが国が誇ってよい出版物である。私の研究室に訪れる外国の研究者は一様に、日本でフレーゲの著作のほとんどすべてが自国語で読める状況になっていることに賛嘆する。哲学を専門としない人にもすすめたいのは、フレーゲのコンパクトな傑作『算術の基礎』を収めたこの巻である。現在の哲学のあり方を決めただけでなく、哲学史の全体を通じても有数の傑作である、この作品をぜひ鑑賞してほしい。


上野千鶴子 
社会学者。専門は女性学、ジェンダー研究。この分野のパイオニアであり、指導的な理論家のひとり。著書に『近代家族の成立と終焉』(岩波書店)、『ナショナリズムとジェンダー』(岩波現代文庫)ほか。

創業70年を迎える勁草書房の、総計6,500点にのぼる書物のなかから「この3冊」を選ぶなんて、無理難題。各分野の選者がそろっているだろうから、私に課せられた役割は女性学・ジェンダー研究の分野の「この3冊」を選ぶことだと割り切ることにした。70年代以前には存在しなかったこの領域を切り拓いたのは、書き手だけではない。編集者の力なしにはありえなかった、と膨大な刊行リストを見ながら、今さらのように感慨に耽っている。

『主婦論争を読むⅠ・Ⅱ』 上野千鶴子編

自分の本を挙げるのは恐縮だが、本書を挙げるのは、本書に収録された3次にわたる戦後主婦論争を読み継いでほしいからだ。「主婦は職業か?」「家事は労働か?」をめぐって、石垣綾子、磯野富士子、水田珠枝など戦後の代表的な女性論者だけでなく、福田恆存、大熊信行、梅棹忠夫などの男性論者も論争に参加している。本書を受け継いで4次から6次にわたる主婦論争を扱った、妙木忍『女性同士の争いはなぜ起こるのか? 主婦論争の成立と終焉』(青土社、2009年)も出た。「なぜ女ばかりが家事をするのか?」という問いは今日にいたるまで解かれていない。

『近代家族とフェミニズム』 落合恵美子
「男は仕事・女は家庭」という性別役割が近代の産物であることを完膚なくあきらかにして、古典となったエポックメイキングな本。「近代家族」パラダイムを日本に持ち込み、「家族の戦後体制」という新語をつくった女性学・ジェンダー研究の名著。近代家族論の類書は多いが、そのなかでも、著者の『21世紀家族へ 家族の戦後体制の見方・超え方』(有斐閣選書、2004年)と併せて、もっともよく引用された本だろう。

『介護する息子たち』 平山亮
近代家族の矛盾やしわよせを「介護する息子」という少数派の男の側から描き出した秀作。ほんとうは「育児する父」を対象にした春日キスヨの名著、『父子家庭を生きる 男と親のあいだ』(1989年)を挙げたかったのだが、すでに絶版になっていた。本書があきらかにするのは、「男もつらいよ」というぼやきの背後にある、女性のケアへの深い依存だ。著者が最近の講演で述べた「男は生涯要支援者」という表現は秀逸。男がケアへの依存を忘れて「一人前」の顔をしていられるのは「忘却の政治」があるからだ、と近代リベラリズムそのものを批判したのが、岡野八代『フェミニズムの政治学』(みすず書房、2012年)。平山は現在、『なぜ女性はケア労働をするのか』(勁草書房、2010年)の著者、山根純佳と、勁草HP上(けいそうビブリオフィル)で「名もなき家事」について対話を続けている。


大島義則 
弁護士(長谷川法律事務所)。著書『憲法ガール Remake Edition』(法律文化社)など、訳書『プライバシーなんていらない!?』(共訳、勁草書房)。

『法解釈の言語哲学』 大屋雄裕

弁護士として業務を行っていると、ときおり、「恐ろしい」という感覚に襲われることがある。「法解釈」の営為が無根拠性の中の「暗闇の中の跳躍」であるとすれば、そうした「恐怖」を覚えることは必然なのかもしれない。「暗闇」の中でフリーフォールのように自由落下する「恐怖」から、我々が救われる道はあるのか。「法解釈とは何か」を分析する本書を読んで、「暗闇」の正体を垣間見るべし。

『著作権法コンメンタール1・2・3』 [第2版] 半田正夫・松田政行編
日常の法律相談、著作権訴訟、M&A取引において実施される著作権デュー・デリジェンスなど、法律家が本書を参照する機会は枚挙にいとまがない。判例・学説等も踏まえた多角的な記載が多いので、とても役立つ。著作権で何か疑問に思ったら、とりあえず最初に引く本と言ってよい。現代の情報化社会において著作権法は日常生活に浸透しているため、著作権法で悩む方は法律家以外にも多いであろう。辞書として持っておくと、重宝すると思う。

『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』 [第1版・最新は第2版] 松尾剛行
SNS、ブログ等の発達により、時代は「一億総表現社会」となっている。しかし、過激な表現は、ときに名誉毀損になることがある。それでは、何が名誉毀損で、何が名誉毀損ではないのか? 本書では、「インターネット上の名誉毀損」に関する膨大な判例・裁判例が、詳細かつ体系的な目次立ての下に整理されている。ある表現がセーフかアウトかを判断するための道標を提供してくれる本である。


大屋雄裕 
慶應義塾大学教授。専門は法哲学。著書『裁判の原点』(河出書房新社)、『法解釈の言語哲学』(勁草書房)など。


『権力の予期理論』 宮台真司
経験する主体の視点に徹底的に立つことによって、国家のような「大文字の権力」とは異なる権力関係、個々の主体のあいだで機能するミクロの存在を可視化した画期的な著作。国家―個人の二項対立を離れ、検索エンジンの専制のような現代的事象を描くフィールドを構築したものとして、社会学のみならず法・政治への思考に及ぼした影響も大きい。同じ観点に立つ試みを集めた『システムの社会理論―宮台真司初期思考集成』と併読したい。

『統治と功利』 安藤馨
存在と道徳に関する確固たる実在論の観点から、快楽説に立脚する古典功利主義を統治者の担うべき原理として、システムの満たすべき「正しさ」として提示した。あり得べき立場の分析と論理的検討の精密さにおいて傑出する一方、それはあくまでも客観的に正しい世界のあり方として「神」の視点に立つもの、我ら一人ひとりの人間の生には無縁な何かではないかとの違和感が禁じ得ない。どの観点を選択するか、という問題提起を籠めて。

『熟議が壊れるとき』 キャス・サンスティーン著 那須耕介編・監訳
ナッジなどの行動経済学、行政規制の新しい方法論や社会保障政策への応用などで注目されているアメリカ法学界の中心・サンスティーンの出発点は、熟議による民主政の活性化と、それを通じた司法府の「独善」の抑制にあった。その民主政が危機に陥る可能性も認めつつ、克服のための条件を探ることを通じて統治のあるべきバランスを考えようとする姿勢を確認することで、多方面に展開する彼の議論を体系的に理解することを試みたい。


隠岐さや香 
名古屋大学経済学研究科教授。専門は18世紀フランス科学史、科学技術論。著書に『科学アカデミーと「有用な科学」』(名古屋大学出版会、第33回サントリー学芸賞)。

『悪夢の医療史』 W.ラフルーア G.ベーメ 島薗進編著 中村圭志・秋山淑子訳
「あらゆる歴史は現代史である」の言葉を引用し、本書は始まる。日本、米国、ドイツの研究者が協働して、戦時中の人体実験から現代の先端生命科学に至る医療分野の問題を生命倫理的観点から論じている。ナチス期以前のドイツに人体実験を規制する指針があったにも関わらず、戦争犯罪は起きたこと。「日本と日本の市民には歴史に関する記憶喪失がある」との国際的風評があること。出版から十年経つが切実な問いを投げかけ続ける本。

『核の誘惑』 中尾麻伊香
原子爆弾が投下される前にも、一般大衆は「核」について知らされ、魔術のごときイメージをそこに投影していた。そして恐れながらも誘惑されていた。本書は、戦前から戦後に至るメディアや大衆娯楽雑誌などに照準を定めた上で、人びとが原子力や放射能について語った膨大な言説を分析している。ラジウム、千里眼、SFなど、味わい深い具体例と共に考えさせられる。私たちがいかに核の文化を「抱擁」し、未来を招き寄せてしまったかということを。

『コンディヤックの思想』 山口裕之
18世紀フランスの思想家の中でも、コンディヤックは地味な存在である。これは彼の考えがあまりにもスタンダードになってしまったからだろう。彼は「分析」とはいかなる意味か、言語は我々の認識といかに関わるかということを正面から論じた。近代以降の言語についての議論は彼をなくして考えられないし、科学と言語の関係についても同様だ。本書は日本で初めての本格的コンディヤック研究書であり、このあとも類書は出ていない。


加藤陽子 
東京大学教授。専門は日本近現代史。著書に『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)、『戦争まで』(朝日出版社)など。

『赤道下の朝鮮人叛乱』 内海愛子・村井吉敬著
2013年に逝去した村井の本としては、『エビと日本人』(岩波新書、1988年)が広く知られていよう。だが、村井には1975年からの2年間、インドネシア留学時代の生活を活写した『インドネシア・スンダ世界に暮らす』(岩波現代文庫、2014年)という素敵な本がある。そして、ここに挙げる本は、伴侶であり、後に、東京裁判、日本軍の捕虜政策の第一人者となる内海愛子との共著にして、このインドネシア滞在を機に生まれた驚嘆すべき本。日本の「南方」政策と朝鮮植民地支配の結節点の一つが意外にもインドネシアにあったのだ。

『旧外交の形成』 千葉功
戦争が政治の延長であるように、外交もまた内政の延長であることは、今さら喋々するまでもない。殊に、外交宣伝にかけて世界一不得手な国民と自他共に認めざるをえず、また対外的な譲歩ひとつとて、国内強硬派への配慮のため一切行わないと決めこんでいる国・日本であれば。本書は、桂太郎首相が主導した日露戦争開戦過程を内政面から丹念に跡付けた著者だからこそ執筆しえた、世界転換期の日本外交の全貌。日本の外交を考える際に必須の本である。

『系統農会と近代日本』 松田忍
戦前期の農村は、郡制を軸に国政レベルの安定を叩き出そうとした山県有朋と、それに対抗し利益誘導を軸に地方・中央を通じた政党支配を貫徹しようとした原敬とが、競合する対象領域にほかならなかった。だが、独自の財政基盤を欠いた郡制、適切な農業政策をとりえない政友会、共に、決定打を欠いていた。そこに、技術と情報を通じて農業経営の安定を図る最大の農業者組・系統農会が登場してくる存在理由があった。日本の地域と政治を考える際に必須の本である。


亀田達也 
東京大学大学院人文社会系研究科教授。専門は意思決定科学、社会心理学。ヒトの社会行動のしくみを、進化・適応のメタ理論から研究。著書『モラルの起源』(岩波書店)、『合議の知を求めて』(共立出版)など。

『功利と直観』 児玉聡
心理学を含む行動科学の領域では、功利主義は道徳よりも実利を追求する通俗的・利己的な生き方として批判の対象になりやすい。本書はそうした誤解を解く、気鋭の倫理学者による英米倫理思想史への重厚な入門書である。


『「日本人」は変化しているのか』 池田謙一編著
2010年以降の日本は、東日本大震災、民主党から自民党への政権交代など、大きな変動を経験した。本書は、3つの大規模国際比較調査データに基づく、現代日本社会の分析である。変動の時代にデータに基づく確かな知識を提供する良書である。

『フロンティア実験社会科学』 (全7巻) 西條辰義監修
実験という手法を通じてさまざまな社会科学をつなぐ「実験社会科学」の誕生を宣言したシリーズ。経済学、心理学、政治学、法学などの歴史的境界を越え、市場と政治、信頼、規範など、社会科学にとってコアの問題群に迫ろうとする協働プロセスが生き生きと報告されている。


北田暁大 
東京大学大学院情報学環教授。専門は社会学、メディア論。著書に『広告の誕生』(岩波現代文庫)、『責任と正義』(勁草書房)など。

『権力とはどんな力か』 大庭健
80~90年代に猛威をふるったポストモダンに、分析哲学とドイツ哲学(廣松哲学)、社会システム論を往還する知的体力を資源として徹底抗戦した倫理学者の名著。『自分であるとはどんなことか』『他者とは誰のことか』と並ぶ書下ろしの大庭三部作の第二弾。フーコーの本格的受容を契機に各所で論争を巻き起こした「権力」概念について、当時最先端の議論をなで斬りにして、権力という関係性の社会性を追究する。大庭哲学の真骨頂を示す作品。

『行為と規範』 黒田亘
この本ほど、学生時代のわたしの思考を喚起すると同時に、何度読んでも理解ができないという挫折経験をもたらしたものはない。「行為とはなにか」をめぐる志向性と因果性という、多くの哲学者の心をつかみ続けてきた問題に、アンスコムへの透徹した「批判」を媒介として、様々な角度から接近する。もともと放送大学のテキストで、流し読みするぶんには「読みやすい」が、短い言葉のなかに考え抜いた思考を刻み込む、まさに職人技の結晶である。

『オースティン哲学論文集』 J.L.オースティン著 坂本百大監訳
言語行為論で有名なオースティンであるが、彼の言語行為論は、ある種の認知主義にもとづくサールのそれ――言語行為<志向性<生物学的基礎という階層構造をもっている――と異なり、行為にかんする徹底的な概念分析を試みるものであった。その意味で、ライルとならぶ「概念分析」の出発点を構築した人物であるといえるだろう。とにかく難しいオースティンの珠玉の論文を、豪華な翻訳陣が日本語に変換してくれている。「インクの三つのこぼし方」は、私にとって謎を伴った魅惑に包まれた論文であり続けている。


木庭 顕 
東京大学名誉教授。専門はローマ法。著書『政治の成立』(東京大学出版会)、『誰のために法は生まれた』(朝日出版社)、『新版 ローマ法案内』(勁草書房)など多数。

『弁証法の諸問題 新装版』 武谷三男
私にとって勁草と言えば武谷三男である。重要な個人的な思い出とも結びついている。師の片岡輝夫からその重要性を聞かされ、最初の留学時の友人(物理学徒)Pietro Tumminelloの熱い要請にこたえて(英語化されていないものにつき)口頭でイタリア語の即興訳をつけた。本書は言わば右代表として掲げるが、物理学の栄光の背後に、真に批判的な知性を共有する幅広い階層があったことを知りうる。そこからのみ想像力を飛躍させる空間が生まれ、大胆で明晰な仮説が提出される。

『少国民戦争文化史』 山中恒
「少国民」シリーズもまた勁草のはず、と思ったが、間違っていなかった。ただ、これも右代表の意味でこれを掲げる。この本自体は今回のこのフェアに合わせて初めて読んだにすぎないが、軍事化とコンフォルミスムが何をもたらすか、鮮明な印象を確認することができた。そして現在の私の問題関心にひきつけて言えば、最も薄汚く卑しい精神のその特徴は、子供はとことんバカだと思っているということである、という知見を本書からあらためて得た。畢竟自分を投影しているのである。子供の対等な知性を尊重することがいかに大事か。最も洗練された高度なものを与えなければならない。

『熟議が壊れるとき』 キャス・サンスティーン著 那須耕介編・監訳
とは言っても、第一章しか薦めるつもりはない。「熟慮」を答えとして用意する論者は多いが、具体的な社会(この場合は現代アメリカ)の中でそれが成り立つ条件を探るものは多くない。しかも多元主義ないし利益集団にターゲットを絞って阻害要因を探る。問題提起として重要である。とはいえ、その分析は、少なくとも歴史学的見地からすれば全く本格的なものではない。そして以下の章は、著者の理念の正当化に向かってしまう。結局憲法裁判のフォーラム内部の言語であり、そこでの優位を競っているにすぎず、外もそこから眺めたにすぎず、膨大な社会的現実にアプローチするつもりはないのである。


齊藤 誠 
一橋大学大学院経済学研究科教授。専門はマクロ経済学。著書『新しいマクロ経済学』(有斐閣)、『原発危機の経済学』(日本評論社)など。

『構造と力』 浅田彰
本書の存在は今でも強烈である。30年以上にわたって50版以上を重ねてきたのも驚異である。この本が出た1980年代半ばは、経済学を含めて社会科学は狭い専門の殻に閉じこもっていたが、今の経済学は心理学、社会学、法学へ越境して新しい地平を拓いている。そうした雰囲気のなかにどっぷり浸かっている私が本書を紐解くと、浅田に「そんな学際研究など、利口ぶったプラグマティストの愚行」と揶揄されているように感じると同時に、社会科学のまったく新しい可能性を今でも信じさせてくれる。

『熟議が壊れるとき』 キャス・サンスティーン著 那須耕介編・監訳
勁草はサンスティーンの主要著作を翻訳してきた。最近も『命の価値』を出版した。本論文集には、ナッジをひっさげて政策現場で活躍する「分かりやすい」サンスティーンではなく、熟議民主主義と司法ミニマリズムをひっさげて公法学界にデビューした「分かりにくい」サンスティーンがいる。ただ、本書を読むと、現在の平易さがそれまでの難解さに支えられていることがよく分かる。また、リベラルに対するリパブリカンの意味を深く考えさせてもくれる。
 
『成長信仰の桎梏』 齊藤誠
自薦とはお行儀が悪い…本書の主張はとても新古典派的である。経済厚生の指標は名目GDPでなく実質消費、物的資本や人的資本は量ではなく質こそ大切、通貨の価値は「円安」や「円高」ではなくその「使い勝手」、租税の基盤は労働所得ではなく資本所得や資本そのもの…最後だけは新古典派的でないが、今の政策文脈ではすべて異端となった。でも、new normalが突然、old normalに先祖返りということはありうるのだから、本書の意味もそこにあるのかもしれない。


酒井泰斗 
会社員、ルーマン・フォーラム管理人。著書『ワードマップエスノメソドロジー』(共著、新曜社)、『概念分析の社会学』『概念分析の社会学2』(共編著、ナカニシヤ出版)。

『エスノメソドロジーと科学実践の社会学』 マイケル・リンチ著 水川喜文・中村和生監訳
エスノメソドロジー(EM)の研究プログラムの新たな定式化を試みた現代の古典である。知識社会学を中心とする古典的研究の検討が含まれているためEM的観点からの社会学史としても読める。ブルア(1983)*と並んでウィトゲンシュタイン哲学の社会学への導入を図った著作でもあるが、邦訳の時期が離れ、またブルアの著作があまり読まれなくなってしまったために両者のアプローチの違い**に注目が集まらなかったのは残念である。
* ブルア(1983→1988)『ウィトゲンシュタイン――知識の社会理論』, 戸田山和久訳, 勁草書房.
** これについては戸田山和久(1994)「ウィトゲンシュタイン的科学論」(『岩波講座 現代思想10』, 岩波書店)がよいガイドになる。

『リスク論のルーマン』 小松丈晃
日本では、これまで何度か小さなルーマン・ブームがあったが、研究の面では本書や高橋(2002)*の刊行時期が一つの画期をなすように思う。リスクという論題のもとで、個人・信頼・意思決定・知識・社会運動などを題材にルーマン社会理論の特質を明解に描き出した本書は、リスク社会論が下火になった現在でも味読する価値がある。
* 高橋徹(2002)『意味の歴史社会学――ルーマンの近代ゼマンティク論』世界思想社.

『市民的自由主義の復権』 小山裕
フォン・モール、ジンメル、ハバーマス、ルーマンなど社会学史の重要人物たちを、カール・シュミットを中心とする自由主義を巡るドイツの論争状況の中に配置する思想史的アプローチによって、ルーマン理論がもつ政治的(自由主義的)含意とその社会理論の骨格とを説得的に示した本書は、日本語圏のルーマン研究にもう一つの画期をもたらした。今後は、本書の登場によって欠落としてはっきりと見えてきた側面(行動科学的知見を援用して行われた社会理論の具体化・実現の側面)に関する研究が進むことを期待したい*。
* 「信頼」の周辺については次の論考に若干のことを記した。酒井泰斗・高 史明(2018)「行動科学とその余波」(小山編『信頼を考える』, 勁草書房)


坂井豊貴 
慶應義塾大学経済学部教授。専門は社会的選択理論、メカニズムデザイン。著書『多数決を疑う』(岩波新書)、『決め方の経済学』(ダイヤモンド社)など。

『アイデンティティと暴力』 アマルティア・セン著 大門毅監訳・東郷えりか訳
自発的に自爆テロを起こす狂信者は、自由といえるだろうか。信仰の属性のみにとらわれた行為は、むしろひどく不自由なものではないか。人は複数の属性に同時にコミットできる。何かを厚く信仰すると同時に、地域を愛する住人であったり、母校の卒業生であったり、スポーツチームの熱烈なファンでもあれる。ただひとつの属性だけに自分のアイデンティティを結び付けることは、思考を著しく狭めてしまう。魂が自由であるとはどういうことか。98年ノーベル経済学賞、アマルティア・センの最高傑作。


『格差社会のなかの自己イメーシ』 数土直紀編著
かつて人々が「一億総中流」のイメージを共有している時代があった。だがこれは本当に人々が中流であったわけではなく、格差も貧困もたくさんあった。ただ、人々の主観的なイメージが「自分も他人も中流」だったのだ。そのイメージが崩壊し、格差社会のイメージが進んだ現在、人々は自らをどのようにイメージしているのだろうか。人間は社会のなかで、どのようなアイデンティティを形成するのか。うつりゆく日本社会で、人々の階層意識の変容を明らかにする論考集。

『選択しないという選択』 キャス・サンスティーン著 伊達尚美訳
サンスティーンが盟友セイラーと唱える「リバタリアン・パターナリズム」は、人々の選択の自由を尊重しつつ、賢明な選択を誘導してあげる考え方。たとえば給与から貯金を「自動引き落とし・ただしいつでも解除可能」の設定にしておくと、人は変更しない傾向が強い。ならば初期設定(デフォルト)をそうしてあげれば、本人は貯金ができることになる。賢明な選択をしやすくしてあげる。いつでも本人が解除できるのだから、選択の自由は尊重している、のだろうか?


佐藤岳詩 
熊本大学准教授。専門は倫理学。著書に『メタ倫理学入門』(勁草書房)、『R・M・ヘアの道徳哲学』(勁草書房)。

『責任と自由』 成田和信
普段何気なく使っているけれど、深く考えようとするとよくわからなくなる言葉。そういう言葉の本当の姿を解き明かすことは、哲学の使命の一つだと思います。本書は平易な表現を使いながらも、ときに大胆に、ときに回りくどく、「責任」とそれを支える「自由」の実体にじわじわと迫ります。とにかく責任のことが気になる、何とかして自由のことをわかりたい、という著者の誠実な好奇心に当てられ、ともに悩み、考え、最後にはもつれた言葉の意味が解(ほど)ける知的興奮を一緒に味わうことができる、哲学の醍醐味がつまった一冊です。

『道徳の言語』 R.M.ヘア著 小泉仰・大久保正健訳
本書は、メタ倫理学の泰斗、R.M.ヘアが若干33歳で出版し、その後、現代の倫理学に大きな影響を与えた一冊です。彼はこの本で「善い」の意味とは何なのかを地道に徹底的に探究していきますが、その営みが最終的に、道徳とは何なのか、私たちはどう生きるべきなのか、という大きな問いへの答えにまでつながっていきます。自分の頭と自分の言葉で、本当にとことんまで突き詰めて考えに考え続けたとき、そしてそのときにだけ、すべてに通じる新しい何かに出会うことができるということを、教えてくれる名著です。

『生命倫理の成立』 香川千晶
今では当たり前のように論じられる生命倫理ですが、そのように論じられるようになった背景には、様々な社会の変化と人類の負の歴史がありました。患者さんや家族、自分、これから生まれてくる新生児や胎児、その生き方と死に方をめぐる目の前の厳しい現実に集中しなければならない生命倫理だからこそ、あえて一度、歴史の縦糸の中から捉え直すことで、現在の、そしてこれからの生命倫理の在り方を考え直すきっかけとなる、この社会の中で生まれ死んでいくすべての人間にとって必読の一冊です。


田村俊作 
慶應義塾大学名誉教授。専門は図書館情報学。著書『情報探索と情報利用』(編、勁草書房)、『公共図書館の論点整理』(共編、勁草書房)など。

『本を分類する』【オンデマンド版】 緑川信之
畏友 緑川信之君による図書館分類の概説書。図書館分類に対する原理的考察を基に、図書館分類を理解するための理論的な枠組みを構築した後、枠組みに沿って主要な図書館分類法の特徴を概観・整理している。図書館分類については長い議論の蓄積があるが、概念規定が不十分なままに、実用を優先させて個々の分類法を作成・運用してきている面が多々あるため、理論の整理が不十分で、部外者が概念体系や各分類法の相対的な特徴をきちんと理解するのは難しかった。本書はこれまでの議論を踏まえた上で、しっかりした理論的枠組みの下に図書館分類の世界と個々の図書館分類法を明快に整理している。

『情報基盤としての図書館』【オンデマンド版】/『続・情報基盤としての図書館』 根本彰

原理的な考察においても時事的なトピックを扱う際でも、公共図書館を論ずる際の根本彰氏の視点は常に文明論的なもので、その主張の根幹は一貫して揺らいでいない。それは、蔵書に代表される情報のストックこそが図書館の本質で、公共図書館は地域資料を核とする情報のストックに、書棚の排列や目録、さらには障害者サービスやレファレンスサービスなど利活用のための付加価値をつけることによって、出版文化を支えるセーフティネット、地域の情報基盤となる、という信念である。書誌コントロール論、地域資料論等根本氏の中心的な思想がわかりやすく説かれており、現実に対する即効性の処方箋が書かれているわけではないが、だからこそ読まれるべき論集である。

『存在と時間 上・下 新装版』 M.ハイデガー著 松尾啓吉訳
私に学問をするとはどういうことか、翻訳はどうあるべきかを教えてくれた本。大学生の時、友人2人と私に、当時助手だった故久保元彦先生が、ハイデガー『存在と時間』を輪読する機会を与えてくださった。そのときに久保先生が、「邦訳を参照するならこの本ですよ」と紹介してくださったのが本書である。原著は難解だったが、きちんと論理をたどれば理解することができ、精読するとはこのようなことなのかと得心した。松尾啓吉の邦訳は、新しい思想を表現するためにハイデガーが合成した造語を、構成要素に分解して概念体系に位置づけた上で、適当な訳語を与えるなど、原著の論理展開をくっきりと浮かび上がらせる名訳であった。友人達との懐かしい思い出と久保先生の学恩と共に、翻訳とは原著との知的格闘であることを私に思い起こさせてくれる本である。


田村哲樹 
名古屋大学大学院法学研究科教授。専門は政治学。とくにデモクラシー、福祉国家、ジェンダーの政治理論に関心を持つ。著書に『熟議の理由』(勁草書房)、『ここから始める政治理論』(共著、有斐閣)など。

『ジェンダー秩序』 江原由美子
勁草書房のイメージの一つは、「ジェンダー/フェミニズムの出版社」である。中でも本書は、この分野をリードしてきた著者の、長年の理論的格闘の到達点である。本書では、ジェンダーと「性支配」が人々の社会的実践の中で生み出されるメカニズムが考察され、「ジェンダー秩序」が概念化される。特に前半のやや入り組んだ叙述は「難しい」かもしれない。しかし、その「難しさ」も、著者がジェンダーについて真摯に考え抜いてきた証拠である。

『社会科学のリサーチ・デザイン』 G.キング・R.O.コヘイン・S.ヴァーバ著 真渕勝監訳
勁草書房は、多くの良質の翻訳書も出版してきた。本書は、特に政治学において、「科学的な」研究方法への意識を高めるのに大きな貢献を果たした。しばしば、定性的(質的)研究と定量的(計量的)研究は、異なる研究スタイルだとされる。しかし、本書は「推論」をキーワードとすることで、いずれも共通の方法と研究設計の下で行われうると説く。巻き起こした様々な反響・反論(勁草書房から翻訳刊行)の大きさも、本書の重要性を示している。

『責任と正義』 北田暁大
勁草書房には、倫理学・哲学分野の出版社というイメージもある。本書では、社会学を専門としつつ倫理学・哲学分野への造詣も深い著者が、『社会科学のリサーチ・デザイン』とは異なる「もう一つの社会科学」を提示する。リベラリズムを素材とし、社会学的思考様式と政治哲学的思考様式とを執拗なまでに突き合わせつつ、本書が取り組むのは、価値(規範)と事実(経験)の緊張関係とその調停という社会科学の根本問題である。


細谷雄一 
慶應義塾大学法学部教授。専門は国際政治学。とくに歴史的な観点から多数の研究を行っている。著書に『国際秩序』(中公新書)、『歴史認識とは何か』(新潮選書)など。

『世界政治』 ジェームズ・メイヨール著 田所昌幸訳
私は、日本語で読めるこれ以上良質な国際政治学のテキストを知らない。それは、無味乾燥で、惰性で書かれたよくある退屈なテキストとは異なり、生き生きと冷戦後の世界の動きを視野に入れる。何を考える必要があるのか。そして何がこれからの世界で危険となるのか。抑制のきいた上質な文章で綴っている。結局、2000年にメイヨールが警鐘を鳴らし注意を促した多くの問題が、その後の国際政治で噴出してきた。政治とは愚かである。

『権力と平和の模索』  ハリー・ヒンズリー著 佐藤恭三訳
20世紀のイギリスが生み出した最も偉大な国際政治学者の一人であり、ケンブリッジ大学で長年研究者を養成してきたハリー・ヒンズリー教授の主著が、日本語で読めるとは何という歓びだろうか。古き良き時代のイギリスの伝統で、読者に相当に高い水準の教養を要求する。この1冊で、近現代の国際関係思想史、国際政治史、国際機構史が概観でき、さらにはそれらの相互作用が描かれている。国際政治学者にとって必読の書であろう。

『ヨーロッパの精神と現実』  高柳先男
大学時代に高柳先男教授の講義に出席し、ヨーロッパ国際政治を専門とする者の洗練された知性に触れた。この本を手にとって、ヨーロッパの思想、政治、外交を縦横無尽に語り尽くす高柳教授のスケールの大きな国際政治論に圧倒された。高柳教授との出会いがなければ、私はヨーロッパ国際政治を専門とすることはなかったであろう。広瀬佳一編『ヨーロッパ変革の国際関係』や秋野豊『偽りの同盟』とともに、今でも読まれるべき良書である。


三中信宏 
国立研究開発法人農研機構・農業環境変動研究センター専門員、東京農業大学客員教授。専門は生物統計学、生物体系学。著書『思考の体系学』(春秋社)、『系統樹曼荼羅』(NTT出版)など多数。

『オッカムの言語哲学』
 清水哲郎

本書は、中世神学の普遍論争のなかで実在論に対立する唯名論の立場から論陣を張った14世紀の修道士オッカムのウィリアムを言語哲学の観点から迫った。オッカムに由来する「オッカムの剃刀」――不必要なものは削ぎ落とせという形而上学的もしくは存在論的な主張 ――は近世から現代にまで伝わり、現代の自然科学にまでその影響を残している。四半世紀も前に読んだ本書は私の中世形而上学とその現代科学とのつながりについての理解を大いに深めてくれた。

『実在論と知識の自然化』 植原亮
「われわれが世界を一定の秩序において捉えることができるのは、世界そのものがおおむねまさしくそのような構造を有しているからにほかならない」(p. 4)と楽観的な実在論を宣言する著者の立場は私個人的にはまったく賛同できない。しかし、存在物の形而上学について正面から立ち向かった研究書としてはたいへん痛快な本であることはまちがいない。「種(species)や分類群は実在するのか?」という生物学哲学の問題に関心がある分類学者ならば本書を手に取るしかないだろう。

『過去を復元する』 エリオット・ソーバー著 三中信宏訳
生物学の概念的・哲学的問題を論じる生物学哲学は科学と科学哲学のインターフェイスに出現した新たな学問分野である。著者は、生物の歴史(系統発生)をデータから推論することを科学哲学の観点から徹底的に考察し、とくに最節約原理(「オッカムの剃刀」)の個別科学における役割とその意義について詳細に分析している点でいまだに類書がない。進化生物学と科学哲学そして統計学哲学から歴史の推論という問題をはじめて体系的に論じた本書の翻訳を手がけることができたのは幸運だった。


●創立70周年にあたって
(フェアにて配布した小冊子より)


勁草書房は、1948年4月12日に石川県金沢市に本社を置く百貨店、株式会社大和の出版部として銀座7丁目に誕生し、「真理と自由のために」を理念に掲げて出版業に邁進してきました。創業から22年後の1970年に株式会社勁草書房として自立し、今年で70年目を迎えます。皆様のご支援・ご愛顧に心より御礼申し上げます。「勁草」とは「勁(つよ)い草」のことであり、中国の古典『後漢書・王覇伝』の「疾風知勁草」(疾風に勁草を知る)に由来しています。常に時流に流されることなく、信念を持って“良書の出版・普及に”との願いを込め、学習院院長であった安倍能成先生が命名してくださったものです。今日、ICTの発展によりグローバル化、ボーダレス化が急速に広がり、身のまわりには様々な情報があふれています。何が真理であるかを真剣に考え、正しい選択をする必要性が求められる現在、皆様の信頼にお応えできる出版社として、引きつづき良書の出版・普及に努めていきます。

本年は70周年企画として「けいそうブックス」を創刊し、新たなスタートを切ります。これまで専門性の高い学術書を中心に刊行してきましたが、「けいそうブックス」は、「わかりやすさ」を追求するシリーズです。短時間で学問のエッセンスが理解できること、専門用語を使わず平易で読みやすいことなど「わかりやすさ」にもさまざまありますが、本シリーズが目指す「わかりやすさ」とは、著者が考え抜いた文章を一歩一歩たどっていけば、誰もが学問の高みに到達できることだと考えます。広く一般読者に届く言葉を持つ著者を迎えて、4月より順次刊行していきます。ぜひご期待ください。本フェアでは、「けいそうブックス」に加えて「勁草書房のこの3冊」をご紹介いたします。各分野で活躍する15名に選書をお願いし、弊社がこれまで刊行した約6,500点から3冊を厳選していただきました。3冊すべてに各選者のコメントがついています。ぜひご一読ください。店頭でお馴染みの定番書から、知る人ぞ知るロングセラーまで含む裾野が広いラインナップになりました。本フェアが読者の皆様にとって学問の高みにのぼる土台となれば幸いです。

2018年4月
株式会社 勁草書房

 

2018年4月

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