『教育思想事典 増補改訂版』刊行記念フェア 「現代を解きほぐす教育思想」



2017年9月末に17年ぶりに版を改めます『教育思想事典 増補改訂版』の刊行を記念し、
本書の編者である教育思想史学会の全面的なバックアップのもと10月1日(日)より紀伊國屋書店新宿本店にてフェアを開催いたします。

フェアでは教育思想を知る上で欠かせない書籍約220点を14のトピックに分けて選者が解説したブックガイドをフェア台で無料で配布いたします。そしてブックガイドに掲載された書籍のなかから現在入手できる重要な書籍を約150点集めてフェア台で展開いたします。

教育思想史学会会長の松下良平先生による「はじめに」とブックガイドの構成、執筆者プロフィールを下記に掲載しておりますのでご覧ください。


場所紀伊國屋書店新宿本店 3階人文書フェア台
期間2017年10月1日(日)~11月5日
ブックガイドをはじめ当フェアについてのお問い合わせは勁草書房営業部(TEL:03-3814-6861)までご連絡下さい。
当フェアは終了しました。たくさんのご来場ありがとうございました。

※なお、紀伊國屋書店では店舗で税込5,000円以上お買上げいただきますと日本国内への一か所に限り配送料が無料となります(5,000円未満の場合は390円かかります)。詳細はこちらをご覧ください。

教育思想史学会当フェア特設ページ:http://www.hets.jp/fair.html

『教育思想事典 増補改訂版』の内容見本はこちら(PDF)



【ブックガイドまえがき】 
教育思想史学会会長 松下良平


 教育思想にかかわる必読書のリストとその解説をお贈りします。教育思想史学会に所属する中堅・若手からの選りすぐりのメンバーが、その任に当たってくれました。

 今日、学校教育をはじめとして教育に熱い期待が寄せられています。かつては学生による自主的な学びに任せていた大学も、今やすっかり様変わりして教育熱心になりました。しっかり計画された教育があちこちで繰り広げられることによって、若い世代の将来は安泰だ。こう言いたいところですが、ことはそう単純ではありません。教育の内実こそがそこでは問われるからです。

 経済の停滞やグローバル化や少子高齢化や人工知能の進歩などの影響により、社会はドラスティックに変わりつつあります。その先行きがあまりにも不透明で不確実なために、これまでの教育を手直しするだけでは、激動する社会を「生きる力」にはつながらないのでは?――このような問いが切実なものになっています。既定の道をひたすら前へ進むための教育。その教育のあり方を根本から問い直さなければならない局面に差しかかっているということです。

 ところが現実には、そのような問いを封じる風潮が広がっています。近未来の社会で役立ちそうな知識や能力・スキルを身につけさせれば教育は十分である、とする考え方が社会を席捲しつつあるのです。そのため教育する側も、政治や顧客が求める教育成果を目に見える形で出すことに躍起になり、そのことが何を意味するのかを考えない傾向が強まっています。人びとは教育について熱く語ることもなく、教育を単なるテクノロジーの問題とみなし、どのような手段を用いればどのような成果が得られるか、ばかりを考えます。さまざまな方法をまずは試して、その成果をデータでチェックし、よいデータが得られたら怪しげな方法でも受け入れ、課題が残れば新しい教育政策を次々と政治主導で導入していく。――こうしたプロセスが、教育現場の悲鳴や多様な声を無視して淡々とくりかえされています。そこでは多くの人びとは、データに一喜一憂するだけであり、そこで身につけた学力や規律がどのような知性や社会性につながるのか、改めて問おうとはしません。

 しかし教育思想は違います。教育をテクノロジーの問題に還元できるとみなす教育観がどこから来たのか、人間や社会に何をもたらすのかについて探究します。教育についての狭く硬直した見方を打破するべく、現代人に自明のものとなっている西洋近代由来の「教育」を相対化し、それとは別の教育の可能性を開示し、学校教育の特異性を暴きだし、教え学ぶことと生や死との深い結びつきに迫るのです。

 このブックレットを読まれた方々が、当たり前の世界の外側へと誘われていくことを願っています。めくるめく多様で奥が深いけれども、もっと見通しがよく、伸びやかになれる場所へ。



【ブックガイドの目次と掲載される書籍一覧】 

※ 品切の書籍もブックガイドには掲載されております。ご了承下さい。
※ 解説文で触れなかったもののトピックに関連するものとして選者が挙げた書籍は参考図書としてリストの番号にアスタリスク(*)を付けています。


【1.教育思想への招待─丁寧に考えるために 下司  晶】

 誰しも自分の経験をもとに発言できるからだろう。崩壊したとか、再生しろとか、そもそも不要だ、とか。教育について、乱暴な言葉がたくさん飛び交っている。だが教育は極めて複合的な事象だし、結果が出るまで長い時間がかかる。だから少しゆっくりと、丁寧に考えてみよう。私たちはどのような社会を望み、そのためにどのような教育を求めるのか。

 その考察の手がかりとして、以下では教育思想へのよきガイドたちを紹介したい。

 教育思想史学会編『教育思想事典 増補改訂版』【1】は、2000年の初版刊行以来、必携書とされてきた事典を、2017年にヴァージョンアップした最新版。グローバリゼーションやシティズンシップ、アガンベンやローティといった項目が計100以上も追加された。最前線の研究成果が満載で、調べ物はもちろん、読み物としても楽しい。ぜひ手元に置いて活用してほしい。

 森田尚人・森田伸子編『教育思想史で読む現代教育』【2】は、教科書や道徳教育、政治や発達といったキーワードから、現代教育を思想史的に読み解く。教育学の新しい潮流を知るためにも必読。同書と執筆者の一部が重なりながらも、田中毎実編『教育人間学』【3】は、京都学派の哲学的人間学を源流の一つとして、新たな教育人間学を展開する。この2冊で、現代の教育思想研究の広がりをある程度見通すことができる。

 次に通史。今井康雄編『教育思想史』【4】、眞壁宏幹編『西洋教育思想史』【5】はともに、大学の講義向けに編纂されたテキスト。二冊とも古代から現代に至る教育思想の展開を、若手から大御所までの豪華な執筆陣がまとめている。全体の流れを押さえるためにも、各思想への理解を深めるためにもおすすめしたい。ソクラテスから現代に至る教育思想史を「市民性への教育」という観点から読み解く小玉重夫『シティズンシップの教育思想』【6】も、すぐれた入門書。『ヒューマニティーズ 教育学』【7】は、人文諸科学(社会科学を含む)の各学問を初学者向けに紹介するシリーズ本の一冊。著者の広田照幸は教育社会学者だが、内容には教育思想研究の成果を多く盛り込んでおり、現代日本で西洋の教育思想を学ぶ意義をわかりやすく語っている。

 個々の思想を知りたければ、まずは原聰介他編『近代教育思想を読みなおす』【8】が読みやすい。パーマー他編『教育思想の50人』【9】は、「ピアジェから現代まで」の副題を持つ『現代の教育思想家50人』の邦訳。ニイルからジルーやH・ガードナーまで20世紀の思想を取り上げる。豪華な執筆陣が批評的に論じているのが特長。この前編で「孔子からデューイまで」を扱うFifty Major Thinkers on Education【10】の翻訳も待たれる。

 最後にテーマ別。今井康雄『メディア・美・教育』【11】は、映画を主題とした重厚な教育思想史。19世紀末から20世紀前半のドイツを舞台に、「ナチズムはなぜ勝利したのか」という問いに挑む。森田伸子『文字の経験』【12】はリテラシーの両義性を問いなおす。近代社会では、世界との意味あるつながりを形成するために「文字」という代補を必要とするが、そもそも「文字の経験」とは何を意味するのか。論文集『言語と教育をめぐる思想史』【13】との併読もおすすめ。矢野智司『ソクラテスのダブルバインド』【14】は、ベイトソンのダブルバインド論を中核として、教育学の枠組みを拡張する教育人間学の試み。コミュニケーションによる人間形成と意味の生成が語られる。

 教育思想に触れると、当初わかっていたはずのものがわからなくなることがある。教育思想を読むとは、昨今の教育改革にみられるような性急さに背を向けることなのかもしれない。

No. 書名 著者 出版社
1 教育思想事典 増補改訂版 教育思想史学会編 勁草書房
2 教育思想史で読む現代教育 森田尚人・森田伸子編著 勁草書房
3 教育人間学 田中毎実編 東京大学出版会
4 教育思想史 今井康雄編 有斐閣
5 西洋教育思想史 眞壁宏幹編 慶應義塾大学出版会
6 シティズンシップの教育思想 小玉重夫 現代書館(白澤社発行)
7 ヒューマニティーズ 教育学 広田照幸 岩波書店
8 近代教育思想を読みなおす 原聰介・宮寺晃夫・森田尚人・今井康雄編 新曜社
9 教育思想の50人 ジョイ・A・パーマー リオラ・ブレスラー デイヴィッド・E・クーパー編著 広岡義之・塩見剛一訳 青土社
10 Fifty Major Thinkers on Education  Joy Palmer, Liora Bresler, David Cooper Routledge
11 メディア・美・教育 今井康雄 東京大学出版会
12 文字の経験 森田伸子 勁草書房
13 言語と教育をめぐる思想史 森田伸子編著 勁草書房
14 ソクラテスのダブルバインド 矢野智司 世織書房


【2.教育思想の新しい読み方─新たな思想と新たな解釈 下司 晶】

 1980年代までの日本の教育思想研究は「ガラパゴス化」していた。教育者が目指すべき倫理を示すことを重んじるあまり、思想・哲学研究一般の動向に疎かった。

 しかし1990年代以降、他分野と積極的に交流する新世代によって孤立は打破された。それを後押ししたのが、それまで研究の集大成だった博士論文が2000年頃に第一歩と位置づけ直され、若手の新たな仕事が次々と刊行されたことである。以下では、教育思想の新たな読み方の好例を示したい。

その方向性の一つは、「古典」(項目3)の再読である。「教育思想」として読まれてきたものから「教育」という限定を取り払う。従来見過ごされてきた面に着目する。ポストモダニズムをはじめとする新たな動向から再解釈する。こうした作業によって教育思想は新生し、教育概念は刷新された。

 北詰裕子『コメニウスの世界観と教育思想』【15】は、近代教育の祖といわれるコメニウスを、言語思想やメディア論から再読する。相馬伸一『ヨハネス・コメニウス』【16】は、「光の思想家」という観点から新たなコメニウス像を包括的に提示する。

 鈴木晶子の『イマヌエル・カントの葬列』【17】は、近代教育思想の主流となった弁証法的発展図式には収まらない、カントとヘルバルトの「裏面」に光を当てる。山名淳『ドイツ田園教育舎研究』【18】は、新教育を代表する学校である田園教育舎を、若干の逸脱を許容するフーコー的な監視装置として読みなおす。

 上野正道『学校の公共性と民主主義』【19】は、後期デューイは民主主義と公共性を現実化する契機として芸術教育に期待したという。柴山英樹『シュタイナーの教育思想』【20】は、オルタナティヴ教育の代表者であるシュタイナーの思想を、教育=芸術という観点から再解釈する。井谷信彦『存在論と宙吊りの教育学』【21】は、教育と教育学の有用性志向を、ボルノウとハイデガーの思想から宙吊りにする。

 教育思想の新たな読み方のもう一つは、対象の拡大である。従来の研究では、過去のある地点で「教育思想」と位置づけられたものに対象が限定されてきたが、新たな研究はその制約を解除した。

 青柳宏幸『マルクスの教育思想』【22】と下司晶『〈精神分析的子ども〉の誕生』【23】は、20世紀の教育に最も影響を与えたマルクス主義やフロイト主義を、マルクスやフロイト自身の思想と峻別し、両者の差を問いなおす。

 今井康雄『ヴァルター・ベンヤミンの教育思想』【24】は、反教育学的なベンヤミンの思想から教育という枠組みを解体し再生するメルクマール的著作。池田全之『ベンヤミンの人間形成論』【25】もあわせて読みたい。平田仁胤『ウィトゲンシュタインと教育』【26】は、規則遵守的・体制順応的と批判されてきたウィトゲンシュタインの言語ゲーム論を、創造的なダイナミズムから再描写する。

 田中智志・山名淳編『教育人間論のルーマン』【27】は、ルーマンのシステム論から新たな教育理論を提示する。田中智志『教育思想のフーコー』【28】は、『監獄の誕生』【48】を中心に近代教育批判として読まれてきたフーコーにハイデガー的存在論をみいだす。野平慎二『ハーバーマスと教育』【29】はポストモダンの批判者であり対話による合意形成を求めたハーバーマスの思想を教育学的に検討する。

教育思想は、再解釈と拡張によって新生した。教育の未来はきっとこの先に産まれる。

No. 書名 著者 出版社
15 コメニウスの世界観と教育思想 北詰裕子 勁草書房
16 ヨハネス・コメニウス 相馬伸一 講談社
17 イマヌエル・カントの葬列 鈴木晶子 春秋社
18 ドイツ田園教育舎研究 山名淳 風間書房
19 学校の公共性と民主主義 上野正道 東京大学出版会
20 シュタイナーの教育思想 柴山英樹 勁草書房
21 存在論と宙吊りの教育学 井谷信彦 京都大学学術出版会
22 マルクスの教育思想 青柳宏幸 現代書館(白澤社発行)
23 〈精神分析的子ども〉の誕生 下司晶 東京大学出版会
24 ヴァルター・ベンヤミンの教育思想 今井康雄 世織書房
25 ベンヤミンの人間形成論 池田全之 晃洋書房
26 ウィトゲンシュタインと教育 平田仁胤 大学教育出版
27 教育人間論のルーマン 田中智志・山名淳編著 勁草書房
28 教育思想のフーコー 田中智志 勁草書房
29 ハーバーマスと教育 野平慎二 世織書房


【3.書店で会える「古典」─現代教育の源流 下司 晶】

 暗い図書館の片隅で歴史を感じながら。皆さんが教育思想の「古典」と出会うのは、そのような状況においてかもしれない。もちろん『世界教育学選集』【30】などが、今なお再読すべき思想の宝庫であることは疑いない。

 しかし「古典」は各時代で読み継がれることで生命を永らえるのだから、「今、書店で会える古典」こそが現代の鏡だ。だからここでは、現在も購入可能な「古典」を、なるべく新しい翻訳で紹介したい。

 プラトンの描いたソクラテス【31】は最初の教師ともいわれ、その「問答法」は現代にも受け継がれている。同じくプラトンの『国家』【32】は、社会との関係から教育を規定した、最初の教育学書ともいわれる。

 「近代教育学の祖」コメニウスは早くも17世紀に、誕生から死に至るまでの教育制度を構想した。生涯学習の先駆ともいえるそのヴィジョンは、主著『大教授学』【33】とともに『パンパイデイア』【34】で端的に見て取れる。彼が著した世界初の絵入り教科書『世界図絵』【35】は、多くの異版本とともに【36】、ヨーロッパで広範に用いられた。

 そして教育思想は、近代啓蒙思想家たちによってさらに花開く。

 ジョン・ロックは、人間の精神には最初は何も書き込まれていないという「白紙説」と、習慣による人間形成を唱えた。『子どもの教育』【37】は現代にも通じる家庭教育の指南書である。

 教育思想の最重要書といえば、なんといってもルソーの教育小説『エミール』【38】だろう。光と水があれば植物の種子が発芽するように、適切な環境を与えれば子どもは自ら成長していく。この消極教育の観点は、19世紀末以降の新教育運動にて「児童中心主義教育」として展開し、現代にまで強い影響力を持つ。

 カントの講義録「教育学」【39所収】は、書誌学的な問題もあるがアカデミックな教育学の源流となった。だが、啓蒙を子どもが大人になることに比して語る小編「啓蒙とは何か」【40所収】こそ、近代教育学の前提として外せない。

 貧児教育に心血を注いだペスタロッチ【41】と、幼稚園を創始したフレーベル【42】は、理想の教師像として長らく神格化されてきた。とはいえドイツ観念論やロマン主義の影響を受けた独特の文体は、はっきりいって読みにくい。しかし難解さといえば、哲学と心理学を基礎に学問としての教育学を最初に体系化したヘルバルト【43】が上回るかもしれない。日本では明治期に受容されたヘルバルト派の段階教授法は、詰め込み型授業の原型とされるが、ヘルバルト自身はむしろ、そのような定式化に反対している。

 19世紀後半に先進各国で義務教育制度が整備されると、そのカウンターとして、子どもが生き生きと学ぶ学校を模索する「新教育運動」が生まれる。エレン・ケイ『児童の世紀』【44】は、20世紀は子どもと女性の時代になるとのべた予言の書である。

 新教育運動を代表する存在であるデューイは、シカゴ大学付属実験学校の記録「学校と社会」【45所収】にて、座学から経験による学習への転換を鮮やかに示し、世界の学校改革の火付け役となった。戦後日本の初期社会科も、現代の総合学習も、アクティブ・ラーニングも、全てデューイのリメイクといっていい。教育こそ民主主義社会の形成の鍵であるとした『民主主義と教育』【46】は、「ポスト・トゥルース」の時代といわれる現代にこそ、読まれるべきだ。

No. 書名 著者 出版社
30 世界教育学選集 全100巻+別巻 梅根悟・勝田守一監修 明治図書出版
31 ソクラテスの弁明 プラトン著 納富信留訳 光文社
32 国家 (上) プラトン著 藤沢令夫訳 岩波書店
  国家 (下) プラトン著 藤沢令夫訳 岩波書店
33 大教授学1 コメニウス著 鈴木秀勇訳 明治図書出版
  大教授学2 コメニウス著 鈴木秀勇訳 明治図書出版
34 パンパイデイア J.A.コメニウス著 太田光一訳 東信堂
35 世界図絵 J.A.コメニウス著 井ノ口淳三訳 平凡社
36 コメニウス「世界図絵」の異版本 井ノ口淳三 追手門学院大学出版会
37 ジョン・ロック「子どもの教育」 ジョン・ロック著 北本正章訳 原書房
38 エミール (上) ルソー著 今野一雄訳 岩波書店
  エミール (中) ルソー著 今野一雄訳 岩波書店
  エミール (下) ルソー著 今野一雄訳 岩波書店
39 カント全集17 論理学/教育学 カント著 湯浅正彦・井上義彦・加藤泰史訳 岩波書店
40 永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 カント著 中山元訳 光文社
41 ペスタロッチーのシュタンツだより 改訂版 ヴォルフガング・クラフキー著 森川直訳 東信堂
42 人間の教育 (上) フレーベル著 荒井武訳 岩波書店
  人間の教育 (下) フレーベル著 荒井武訳 岩波書店
43 一般教育学 ヘルバルト著 三枝孝弘訳 明治図書出版
44 児童の世紀 エレン・ケイ著 
小野寺信・小野寺百合子訳
冨山房
45 学校と社会/子どもとカリキュラム ジョン・デュ-イ著 市村尚久訳 講談社
46 民主主義と教育 (上) デューイ著 松野安男訳 岩波書店
  民主主義と教育 (下) デューイ著 松野安男訳 岩波書店


【4.新しい時代のための「現代の古典」─教育的思考への/としてのインパクト 生澤繁樹】

 ソクラテスにはじまりデューイへといたる教育思想の「古典」のあとにつづく思想とはなにか。私たちの時代の教育的思考にインパクトを与えた「現代の古典(モダン・クラシックス)」といえば、アリエス、フーコー、イリッチ、フレイレ、あるいはブルデューとパスロン、バーンスティンといった20世紀半ば以降の思想家、歴史家、理論家、実践家たちのなまえと著作がまずは思い起こされる。なかでも近代という時代状況のなかで形成され、ひろく浸透してゆく「教育」の自明性に対して、根本的な疑問を投げかけていたひとたちだ。

 アリエス『〈子供〉の誕生』【47】は、私たちの「子ども」に対する教育的まなざしが自明のものではなく、まさに近代社会のなかで発見されていくさまを描きだしたことで知られている。フーコー『監獄の誕生』【48】は、近代の学校システムが「従順な身体」をつくりだし、「規律訓練」の場として巧妙に機能することを浮き彫りにした。イリッチ『脱学校の社会』【49】も示したように、こうした近代のまなざしやシステムは、学校空間のみならず社会全体にまで押し広げられ、私たちはいわばことごとく「学校化された」社会に投げ込まれている。さらにブルデューとパスロン『再生産』【50】が明らかにしたのは、学校が平等化の装置として機能するどころか、むしろ支配文化の社会的再生産に大きく寄与するということだった。それゆえにフレイレが『希望の教育学』【51】のなかで繰りかえし語ったことは、教育されることではなく、学ぶということをいま一度みずからの手に取り戻すために、重く受けとめなければならないだろう。フレイレの著作はその思想を現代に受け継ぐジルーの批判的教育学【52】とあわせて読みたいところである。また再生産論は、難解ではあるがバーンスティンの緻密な読解【53】とともにいまこそ読みなおしてみるべきだろう。

 これら「現代の古典」を読み解くならば、私たちの教育についての理解が歴史を通じてその社会のあり方や変化の理解を抜きにして語れないということに気づかされる。モレンハウアー【54】が説くように、近代に子ども期が発見されたといっても中世に子どもがいなかったわけではない。歴史や社会や文化の変化とつながりのなかで教育的関係についての見方や理解の組み換えがまさに起こったということなのだ。そして私たちの「教育」そのものについてのさらなる理解と新しい時代のための組み換えがいま求められているのである。

 しかし考えてみると、教育という行為や作用は、思想としても理論としても把握するには、かなり厄介で複雑、不可思議な対象である。ブレツィンカ『教育目標・教育手段・教育成果』【55】は、分析哲学的な方法で教育の「概念」を分析し、教育学を「教育科学」へと精緻化しようと試みた野心的な考察といえる。ただし概念や言葉のうえでの無用な論争を解消させようとしても、教育が「行為」としてなされるかぎり問題はけっして汲みつくされない。ハーバーマスのコミュニケーション的行為論【56】とは対照的に、ルーマン『社会の教育システム』【57】は、教育が不確実なコミュニケーションを要件とするシステムであることを示していた。こうしたコミュニケーションの不確かさを、たとえばノディングズ『ケアリング』【58】が描くようなケア的関係によって乗り越えることはできるだろうか。けれどもきっと教育を教育としてだけ眺めるならば、やはり困難をきわめるだろう。教育に収まりきらない教育の意味をしっかり考え抜いていくために、ボルノウ哲学的人間学の奥行きのある思索【59】にくわえて、「人間」とはなにかということへの豊かな洞察に裏づけられたランゲフェルト『教育の人間学的考察』【60】をここではともにおすすめしたい。さらにいえば、ビースタの『よい教育とは何か』【61】やガットマンの『民主教育論』【62】を読みながら、あらためて21世紀に生きる私たちの「社会」とはなにかということを考えてもよい。

No. 書名 著者 出版社
47 〈子供〉の誕生 フィリップ・アリエス著 
杉山光信・杉山恵美子訳
みすず書房
48 監獄の誕生 ミシェル・フーコー著 田村俶訳 新潮社
49 脱学校の社会 イヴァン・イリッチ著 
東洋・小澤周三訳
東京創元社
50 再生産 ピエール・ブルデュー 
J-C・パスロン著 宮島喬訳
藤原書店
51 希望の教育学 パウロ・フレイレ著 里見実訳 太郎次郎社エディタス
52 変革的知識人としての教師 ヘンリー・A・ジルー著 渡部竜也訳 春風社
53 〈教育〉の社会学理論 バジル・バーンスティン著 
久冨善之・長谷川裕・山﨑鎮親・
小玉重夫・小澤浩明訳
法政大学出版局
54 忘られた連関 K. モレンハウアー著 今井康雄訳 みすず書房
55 教育目標・教育手段・教育成果 ヴォルフガング・ブレツィンカ 著 
小笠原道雄・坂越正樹監訳
玉川大学出版部
56 コミュニケイション的行為の理論 (上) ユルゲン・ハーバーマス著 河上倫逸・M.フーブリヒト・平井俊彦訳 未來社
  コミュニケイション的行為の理論 (中) ユルゲン・ハーバーマス著 
藤沢賢一郎・岩倉正博・徳永恂・
平野嘉彦・山口節郎訳
未來社
  コミュニケイション的行為の理論 (下) ユルゲン・ハーバーマス著 
丸山高司・丸山徳次・厚東洋輔・
森田数実・馬場孚瑳江 ・脇圭平訳
未來社
57 社会の教育システム ニクラス・ルーマン著 村上淳一 訳 東京大学出版会
58 ケアリング ネル・ノディングズ著 
立山善康・林泰成・清水重樹・
宮崎宏志・新茂之訳
晃洋書房
59 問いへの教育 増補版 O.F.ボルノー著
森田孝・大塚恵一訳編
川島書店
60 教育の人間学的考察 増補改訂版 マルティヌス・J・ランゲフェルト著 
和田修二訳
未來社
61 よい教育とはなにか ガート・ビースタ著 
藤井啓之・玉木博章訳
現代書館(白澤社発行)
62 民主教育論 エイミー・ガットマン著 神山正弘訳 同時代社

【5.近代日本の教育思想─国家・政治・生命 桑嶋晋平】

 近代日本において、西洋近代化の内在化と目の前の現実との齟齬の克服は最も大きな課題であり、そこで教育を思考することは、東洋と西洋との、また伝統と近代化とのはざまで、国家や政治と教育との関係、あり方を模索することと不可分であった。その課題は既に福澤諭吉【63】に明確に現れていた。福澤のいう独立の精神は、学習者の課題であるとともに、政治にたいする教育・学問の自律性をめぐる課題でもあった。『近代の超克』【64】には、東洋と西洋、伝統と近代化といったアポリアの噴出という、明治以来の課題の一つの臨界が看取される。

こうした課題は、戦後のひととき、国家や政治の教育への介入を斥け教育の自律性を確保する論理の完成をもって克服されたかにみえた。しかし、それは現実に追い越され、移りゆく世界は異なる仕方での思考を強いている。このことはまた、思想家への新たな読みを要請している。小笠原道雄他『日本教育学の系譜』【65】は、冷戦以後の地点からの教育思想の新たな読みを体現した書であり、重要な導きとなる。

 戦後しばしば断罪されてきた京都学派の哲学は、近年、日本の教育思想への影響の大きさが指摘されている。西田幾多郎は、「教育学について」【66所収】という小論で、社会的・歴史的な自己限定作用への参与として教育を論じる。西田哲学(またそれにたいする田邊哲学)の課題を受け継ぎながら、独自の教育思想を展開した書の一つとして、外と内の相即あるいは媒介として形成的表現を論じる木村素衛の『表現愛』【67】があげられる。和辻哲郎の『倫理学』【68】は、ひととひととの「間柄」を根底とした倫理学を展開している。和辻の思想もまた、京都学派の系譜の教育学や、戦後の道徳教育論に多大な影響を及ぼした。その倫理学の可能性と限界とが、なおも探究される必要がある。

 社会的・歴史的な自己限定あるいは自覚という論点は、従来戦後に京都学派の論者と対立する側に位置づけられてきた思想にも通底しているかにみえる。上原専禄【69】は、「人間づくり」の教育を抽象に過ぎるとし、それぞれの時代、社会における歴史的・現実的な問題を担う具体的な人間の形成を論じている。

 以上のような諸論から、明治以来の課題にたいする様々な思考や格闘を見出し、思考を紡いでいくことは、今日重要な課題であろう。

 以上の観点とともに、近代日本の教育思想を読む際に重要な観点となるのが生命思想である。田中智志他編『大正新教育の思想』【70】は、大正新教育を「生命」という観点から捉えなおし、有用性志向を超えて、教育を再構成することを模索している。戦前以来の生活綴方実践にも、上述の大正新教育とはまた異なる形で生命思想を見て取ることができよう。大田堯【71】は、生活綴方実践を通して生命の根源的自発性を見いだし、種の持続としての教育のあり方を示しだしている。無着成恭『山びこ学校』【72】は、生活綴方実践の一つの到達点である。

 以上にあげた書のいくらかは、ときには忌避されてきたし、ともすれば日本的なるものへと転落する危うさを秘めているかもしれない。しかし、いまだ鳴り止まぬ明治以来の課題と、その異なる形での噴出のなかで、新たな思考を紡ぐためには、上述の課題やテクストに正面から向き合うことこそが必要であるように思われる。

No. 書名 著者 出版社
63 福沢諭吉著作集 第5巻
学問之独立 慶応義塾之記
福澤諭吉著 
西川俊作・山内慶太編
慶應義塾大学出版会
64 近代の超克 河上徹太郎 竹内 好 他12名 冨山房
65 日本教育学の系譜 小笠原道雄・田中毎実・森田尚人・
矢野智司
勁草書房
66 続思索と体験・『続思索と体験』以後 西田幾多郎 岩波書店
67 表現愛 木村素衞著 小林恭編・解説 こぶし書房
68 倫理学 (一) 和辻哲郎 岩波書店
69 上原専祿 著作集14 
国民形成の教育 増補版
上原専祿 評論社
70 大正新教育の思想 橋本美保・田中智志編著 東信堂
71 大田堯自撰集成 第4巻 ひとなる 大田堯 藤原書店
72 山びこ学校 無着成恭編 岩波書店
73* 知育とは何か 上野浩道 勁草書房
74* 教育と政治―戦後教育史を読みなおす 森田尚人・森田伸子・今井康雄編著 勁草書房
75* 高坂正顕著作集 第6巻 教育哲学 高坂正顕 学術出版会
76* 日本の教育人間学 皇紀夫・矢野智司編 玉川大学出版部
77* 新編森昭著作集 第5巻 教育人間学 (上)  森昭著 田中毎実編・解題 学術出版会
  新編森昭著作集 第6巻 教育人間学 (下)  森昭著 田中毎実編・解題 学術出版会


【6.制度・制度化が可能にし、不可能にしたもの─ペダゴジーとラーニングのあいだで 生澤繁樹】

 教えることとしての「ペダゴジー」と学ぶこととしての「ラーニング」は、“生産”と“消費”のような対義語ではなく、それぞれに独立した可能性をはらむいとなみである。けれども両者は“教育愛”や“善意”のテクノロジーによってともに手堅く結びつけられてきた。たとえば田中智志編『ペダゴジーの誕生』【78】が説くように、ラーニングをもたらすものとしてのペダゴジーをめぐる教育言説は、まさに制度としての学校や教育の制度化が成立し形成されるなかで誕生し、培われてきたものだ。しかし、そうした制度や制度化の過程によって、なにが教育として可能となり、なにが不可能となったのか、ペダゴジーとラーニングのあいだで、いま一度じっくり思考をめぐらせておいてもよいだろう。

 遠藤孝夫『管理から自律へ』【79】が取りあげるのは、戦後ドイツの学校改革が“管理された学校”から“自律した学校”へと向かうために制度のなかでどのような模索が行なわれてきたかということだ。西岡けいこ『教室の生成のために』【80】は、私たちの制度としての学校の教室空間が子どもたちの意味生成の場にもなりえるという不思議さを具体的事例とともに描きだす。石戸教嗣『教育現象のシステム論』【81】は、ルーマンの教育システム論から学習やカリキュラム、学校組織の特性をどのように理解するかということに鋭くせまる著作である。こうした制度化された教育や制度としての学校がどのような教育的かかわりを期待し、またそれゆえにそのなかでのどのような役割くずしを必要とするかは、岡田敬司『かかわりの教育学』【82】を読むとよい。

 教育の制度・制度化は、教育の自由と平等を保障し、教育に公共性をもたらしたという側面がある。けれども、教育の不平等や教育格差の問題というかたちで、その制度自体はいまや綻びを見せているのもたしかである。宮寺晃夫『教育の正義論』【83】は、平等・公共性・統合を描きなおすための「正義」という観点から教育の制度のこれからを考えさせてくれる。これに対してマーティン【84】が投げかけたスクールホームとしての理念と提案は、制度としての学校を「ケア」という別の角度から再理解することを促すだろう。そしてなにより西村拓生『教育哲学の現場』【85】は、教育における公共性とケアとを考えるための導きとなるだけでなく、教育の制度化とそれへの抵抗とが織りなす緊張感ある「現場」や「此岸」へのまなざしを育み、思考を豊かにしてくれる一冊だ。

 なにかを学び学習する多様な系譜とそれを理解するためのアプローチを知るには、哲学、思想史、言語学、心理学、脳科学、工学といった幅広い分野の考察からまとめられた佐伯胖編『「学び」の認知科学事典』【86】が最良の手引きとなるだろう。くわえて福島真人『学習の生態学』【87】は、徒弟制モデルの学びを理想化せずに組織という視点から学習理論を再構成し、その成果を示してくれる。さらにグループ・ディダクティカ編『教師になること、教師であり続けること』【88】とハーグリーブス『知識社会の学校と教師』【89】を読めば、ペダゴジーの担い手であった教師たちの学びと成長のなかでの困難や、社会のなかで投げおかれている苦悩の現代的なありようもよく分かる。あわせて制度・実践・思想から大学における教員養成への問いにズバリと切り込む下司晶ほか編『教員養成を問いなおす』【90】も手にとると、私たちが直面している問題があらためて高等教育の課題とも重なっていることを痛感するにちがいない。学びのための制度といえる大学のなかで「古典」に触れ、「教養」を育むということでさえ、現代においては一筋縄にはいかない課題となる。綾井桜子『教養の揺らぎとフランス近代』【91】と藤本夕衣『古典を失った大学』【92】とを通読しながら、教育の制度・制度化が可能にし、不可能にしたものをじっくり見つめなおしてみたい。

No. 書名 著者 出版社
78 ペダゴジーの誕生 田中智志編著 
北野秋男・鈴木清稔著
多賀出版
79 管理から自律へ 遠藤孝夫 勁草書房
80 教室の生成のために 西岡けいこ 勁草書房
81 教育現象のシステム論 石戸教嗣 勁草書房
82 かかわりの教育学 増補版 岡田敬司 ミネルヴァ書房
83 教育の正義論 宮寺晃夫 勁草書房
84 スクールホーム ジェーン・R.マーティン著
生田久美子監訳・解説
東京大学出版会
85 教育哲学の現場 西村拓生 東京大学出版会
86 「学び」の認知科学事典 佐伯胖監修 渡部信一編 大修館書店
87 学習の生態学 福島真人 東京大学出版会
88 教師になること、教師であり続けること グループ・ディダクティカ 編 勁草書房
89 知識社会の学校と教師 アンディ・ハーグリーブス著 木村優・篠原岳司・秋田喜代美監訳 金子書房
90 教員養成を問いなおす 下司晶・須川公央・関根宏朗編著 東洋館出版社
91 教養の揺らぎとフランス近代 綾井桜子 勁草書房
92 古典を失った大学 藤本夕衣 NTT出版


【7.社会変革のリアリズム─教育思想は社会を変える力となるか? 生澤繁樹】

 社会を変革するということに、どこまでリアリティを感じることができるだろうか。社会のめまぐるしい変化のなかで学校の学びのあり方を改革し、改善するという光景はよく目にする。けれども、学校の学びが変わることによって今度は社会の方がいったいどんなふうに変わっていくのだろうかという問いは、どのくらいまじめに考えられてきたのだろう。

 ラヴィッチ『学校改革抗争の100年』【93】が描写するように、20世紀のアメリカ教育思想とは、デューイを中心とする進歩主義の教育思想の評価をめぐる支持と非難、その継承と克服の歴史であったといえる。教師ではなく子ども個人の興味や関心に定位する経験主義の学びの行きすぎた誇張は、ホーフスタッターがいう「反知性主義」【94】を後押しする一面もたしかにあわせもっていた。だが一方で、進歩主義とは、社会をいかに変化させ、再構成するかという教育思想でもあった。宮本健市郎『アメリカ進歩主義教授理論の形成過程』【95】は、19世紀から20世紀の新教育における個性尊重の取り組みをつぶさに検討しながら、それらが次第に社会の変革と新たな共同体秩序の形成を唱えていったことを教えてくれる。田中智志『社会性概念の構築』【96】も併読すれば、倫理的な協同性や社会性の概念を基底とする思想がたゆみなく育まれていたことがよりよく理解できるだろう。

 こうした進歩主義の教育思想は、子ども中心主義からの揺り戻しとして、歴史のなかでは教育による社会改造を唱える教育思想を産み落とした。アップルたちが編纂した『批判的教育学事典』【97】は、いわばその現代版ともいえる批判的教育学の理論と実践の多様な展開を知るうえで有益である。マイヤーが『学校を変える力』【98】のなかで描くセントラル・パーク・イーストの実践は、アップルがデモクラティック・スクールとして高く評価する社会変革型の学校づくりの好例である。いうまでもなく、教育はときに支配的な文化や伝統、既成の秩序や規範を教え込むための装置ともなりえてきた。けれども、グラムシ『知識人と権力』【99】から学ぶのは、同時にこの教育がそうした社会のあり方を問いなおし、対抗的なヘゲモニーを獲得する通路を切り拓くためにも存在するということだ。批判的教育学の理論的支柱となったフレイレとともにこのグラムシの思想を丁寧に比較考察するメイヨー『グラムシとフレイレ』【100】から読みとるべきことはたくさんある。

 日本の思想へと関心を移せば、久野収・鶴見俊輔『現代日本の思想』【101】のなかで「日本のプラグマティズム」として紹介される生活綴方教育は、まさに社会を変革するための教育実践を繰り広げようとした思想運動のひとつであった。しかしそれがリアリティを帯びる社会批判となればなるほど、『国分一太郎』【102】で描かれる綴方教師の抵抗と転向が示すように、社会を変えるための思想は政治体制からの弾圧にしばしば直面せざるをえなかった。奥平康照『「山びこ学校」のゆくえ』【103】を読むと、その後の戦後社会の進歩、発展、都市化のなかでも、さまざまなジレンマに悩まされ、絶えまない模索を余儀なくされたことがよく分かる。私たちの生活を認識することの社会批判のリアリティが、人びとの社会現実の急加速する変化から次第に遊離し、思想としてのアクチュアリティは図らずも薄れていったといえるのだろうか。

 だが、教育思想は社会を変える力とはなりえないと高を括るまえに、はかないけれども社会を変えようとした教育実践の集合的記憶についてひとつひとつ丁寧に思いをめぐらせてみるべきだ。社会への順応や適応ではなく「自律」を育むために「教育は何を目指して」いくのかと語ったアドルノ【104】の問いに耳を傾けておく価値は十分にある。サイード【105】の人びとを代理・代弁する表象としての知識人像とはまた異なる意味で、ランシエール『無知な教師』【106】は、ある者の知性を誰かの知性に従わせるのではない、解放の教育のかたちをジャコトという教師の教えから導きだす。社会はけっして囲繞されつくせない。社会の境界を「越境」し「侵犯」することの意味をフックス『とびこえよ、その囲いを』【107】とともに感じつつ、教育思想から解放の実践へと結びついていく手ごたえを確認してみてもよいだろう。

No. 書名 著者 出版社
93 学校改革抗争の100年 ダイアン・ラヴィッチ著 末藤美津子・宮本健市郎・佐藤隆之訳  東信堂
94 アメリカの反知性主義 リチャード・ホーフスタッター著 
田村哲夫訳
みすず書房
95 アメリカ進歩主義教授理論の形成過程 宮本健市郎 東信堂
96 社会性概念の構築 田中智志 東信堂
97 批判的教育学事典 マイケル・W・アップル ウェイン・アウ ルイ・アルマンド・ガンディン編 長尾彰夫・澤田稔監修 明石書店
98 学校を変える力 デボラ・マイヤー著 北田佳子訳 岩波書店
99 知識人と権力 アントニオ・グラムシ著 
上村忠男編訳
みすず書房
100 グラムシとフレイレ ピーター・メイヨー著 里見実訳 太郎次郎社エディタス
101 現代日本の思想 久野収・鶴見俊輔 岩波書店
102 国分一太郎 抵抗としての生活綴方運動 津田道夫 社会評論社
103 「山びこ学校」のゆくえ 奥平康照 学術出版会
104 自律への教育 テオドール・W・アドルノ著 
原千史・小田智敏・柿木伸之訳
中央公論新社
105 知識人とは何か エドワード・W・サイード著 
大橋洋一訳
平凡社
106 無知な教師 ジャック・ランシエール著 
梶田裕・堀容子訳
法政大学出版局
107 とびこえよ、その囲いを ベル・フックス著 里見実監訳 新水社


【8.科学の政治性と全体主義─公衆を取り戻すための政治と教育 生澤繁樹】

 20世紀から現代にかけて科学のかたちは大きく変わったといわれている。科学は科学のみでは成り立たず、国家の政治や政策に委託されたすぐれて政治的ないとなみである。それゆえ金森修『科学の危機』【108】が説くように、現代においては科学や技術への問いを批判的に読み解くことがますます不可欠なこととなるだろう。なぜならそこでは、科学者の専門性だけでは決断・判断できないような科学と政治を横断する「トランス・サイエンス」の問いが社会的問題としていっそう取り扱われるようになるからだ。

 かつてデューイは『公衆とその諸問題』【109】のなかで、私たちが「傍観者」ではなく「参加者」となって行動し、社会的問題に取り組む「公衆」をいかに再生させるかがデモクラシーの社会を成熟させる鍵だと考えた。しかし社会的問題へと参加する「万能な」市民を求めるとしたら、それはデモクラシーへの期待が生みだした「幻想」かもしれない。傍観者の集まりである公衆が社会のあらゆる専門的課題に関わることはきわめて困難と論難したのは、いわずと知れたリップマン『幻の公衆』【110】であった。

 けれどもデューイとリップマンとを読み比べて思うのは、いま市民としての公衆を取り戻すための政治と教育がいかに大切であるかということだ。その重要性は、善良な市民というよりも能動的な市民となるよう説いたクリックの『シティズンシップ教育論』【111】が、政治性を帯びた争点や問題を批判的に思考する「政治的リテラシー」を育むことの意味とともに説得的に論じてくれる。ビースタ『民主主義を学習する』【112】もまた、「政治的主体」を形成するデモクラシーの教育がなぜ必要なのかということを示す理論書だといえる。さらにクリックやビースタの理論を踏みこえて、日本の戦後教育学を振りかえり、いわゆる「18歳選挙権の時代」のなかで「教育」と「政治」とを再び結びあわせることの積極的意味を考えているのは、小玉重夫『教育政治学を拓く』【113】である。

 しかし、こうした社会の政治性を帯びた争点や問題が、ひとたび私たちの直面している科学や技術への問いと重ねられるとき、この問題を考え抜くことの難しさもまた実感する。ハイデッガー『技術への問い』【114】は、技術の本質が「ゲシュテル(Gestell, enframing)」に基づくといった。自然や事物だけでなく、私たちの現実についての認識や思考も「技術」によってつねにすでになんらかのフレームへと囲い込まれている。あるフレームのなかに枠づけることが技術の本質だと理解すれば、同じように技術と科学が特定階級の支配を正当化し、ある別の階級の抑圧を隠し立てるイデオロギーとして機能しうることについて考えたハーバーマス『イデオロギーとしての技術と科学』【115】の理解も納得をもって読める。シヴェルブシュ116】がニューディールのモニュメントであったダム建築に注意を払って鋭く指摘したように、まさにアメリカでは洪水の制御や電力開発といった技術的なかたちをまとって、リベラリズムの政治のなかに「政治的統制」や「計画経済」がすんなり受容されていった。科学の政治性がある種の全体主義とつながりをもつことも歴史の訓えるところである。

 リット117】が原子力時代の科学の問題を「倫理」の問題として捉え、「政治的責任」の問いとして論じているのはじつに興味深い。政治的責任を考えるならば、アーレント『カント政治哲学講義録』【118】が説くように「傍観者」や「注視者」の位置からの思考もときには重要といえる。なぜなら「行為者」や「参加者」として政治と社会、科学と技術の問題に巻き込まれていることによって見えなくなることもあるからだ。教育思想もまた、人間の形成や変容をめざす科学や技術への欲望とつねに隣りあわせであったと見るならば、ホルクハイマーとアドルノ119】とともに合理性への不合理さを注視しながら、藤川信夫編『教育学における優生思想の展開』【120】を読んでみるべきだ。そして鈴木晶子『知恵なすわざの再生へ』【121】は、知るということ(スキエンティア)という科学の原義に立ち戻り、専門家の思考のもつ知ることへの欲望と責任について問いかえす必読書。あわせて原発、消費、いのちの問題へと触れていく鳥山敏子【122】の授業実践の記録も、この「知るということ」の地平からしっかり再読しておきたい。

No. 書名 著者 出版社
108 科学の危機  金森修 集英社
109 公衆とその諸問題 ジョン・デューイ著 阿部齊訳 筑摩書房
110 幻の公衆 ウォルター・リップマン著 
河崎吉紀訳
柏書房
111 シティズンシップ教育論 バーナード・クリック著 
関口正司監訳
法政大学出版局
112 民主主義を学習する ガート・ビースタ著 上野正道・
藤井佳世・中村(新井)清二訳
勁草書房
113 教育政治学を拓く 小玉重夫 勁草書房
114 技術への問い マルティン・ハイデッガー著 
関口浩訳
平凡社
115 イデオロギーとしての技術と科学 ユルゲン・ハーバマス著 
長谷川宏訳
平凡社
116 三つの新体制 W. シヴェルブシュ著 
小野清美・原田一美訳
名古屋大学出版会
117 原子力と倫理 テオドール・リット著 小笠原道雄編 木内陽一・野平慎二訳 東信堂
118 完訳 カント政治哲学講義録 ハンナ・アーレント著 仲正昌樹訳 明月堂書店
119 啓蒙の弁証法 M.ホルクハイマー 
T.W.アドルノ著 徳永恂訳
岩波書店
120 教育学における優生思想の展開 藤川信夫編著 勉誠出版
121 智恵なすわざの再生へ 鈴木晶子 ミネルヴァ書房
122 いのちに触れる 鳥山敏子 太郎次郎社エディタス


【9.臨床の知、パトスの知─受苦と希望の思想のために 小野文生】

 古代ギリシアにパテイ・マトス(受苦を通じて学ぶ)という言葉があった。「経験」は元来、危機をくぐり抜ける試練を意味するので、「経験から学ぶ」と言い換えてもよい。科学の時代では影が薄いが、長らく精神史の地下水脈だった。それどころか、日常の暮らしに目を移せば、むしろこちらの方がなじみがある。成長・発達の明るい面だけが人間の生の事実ではない。そのすぐ裏や横には、悩み、苦しみ、痛み、茫然となる経験がいくらでもある。オロオロする、心配でいてもたってもいられない、思わずつられて涙する、黙って背中をさすらずにはおれないといった他者との共鳴だってある。ままならない人間の生に寄り添うためには、それにふさわしい知が必要ではないか。そうして臨床の知、パトスの知の出番となる。

 科学の世界観の行き詰まりが指摘されつつあった中、いち早く生命現象そのもの、関係の相互性そのものに即した新しい知を提唱したのが中村雄二郎『臨床の知とは何か』【123】。臨床の知、パトスの知の普及に決定的な役目を果たした。精神医学からは木村敏が登場し、〈あいだ〉や〈イントラ・フェストゥム〉といった独自の概念を提唱。木村『臨床哲学講義』【124】はその理論の生成過程を述べた講義録。ここに臨床心理学の河合隼雄を加えて「〈臨床の知〉トリオ」と呼ぶなら、それ続く世代の旗手が臨床哲学を提唱した鷲田清一。飲み屋、風俗、精神医療など多様なホスピタブルな場面を肌理細やかに描く鷲田『〈弱さ〉のちから』【125】はその極北にある作品。ただし、こうした動向の「前史」に、不世出の女性の書き手がいたことを忘れてはならない。ハンセン病患者との交流経験から、苦悩する人々の生の内実に迫った神谷美恵子『生きがいについて』【126】、水俣病を引き起こした人間の罪過、不知火海の人々の暮らしや生類の世界が被った受難を圧倒的な筆致で描く石牟礼道子『苦海浄土』【127】は、双璧をなす現代の古典。

 教育領域からは臨床教育学という独自の学問が生まれた。その思想的源泉の一つがランゲフェルド『よるべなき両親』【128】。多くの悲しいできごとや大人自身の寄る辺なさにもかかわらず、それでも子どもを育てることに意味を見出した人々の「教育する勇気」が心を打つ。和田修二・皇紀夫・矢野智司編『ランゲフェルト教育学との対話』【129】は、このランゲフェルト思想への日本の教育学者たちの応答であり、臨床教育学の到達点の一つ。その傍ら、森昭『人間形成原論』【130】が明かすのは、著者が死の床で最後にゆきついた「生命鼓橋」なる美しく不思議な概念。これを継承した田中毎実『臨床的人間形成論へ』【131】は、ライフサイクルを媒介とした異世代間の相互形成という契機につなぐ。西平直『誕生のインファンティア』【132】は生まれる前のこと、生まれてこなかった可能性など、誕生の不思議や苦悩からライフサイクルの問いへ迫る。森田伸子『子どもと哲学を』【133】は苦悩する子どもの問い、子どもに向き合う大人の問いから、なお生きることを学ぶ哲学の希望を清冽に描く。田中智志『教育臨床学』【134】は共に生きる歓びを、その阻害要因と対峙しながら、力強く語りなおす。山名淳・矢野智司編『災害と厄災の記憶を伝える』【135】は、災害・厄災という不条理なできごとを被った人々の経験や記憶継承の問題に、教育学の側から応答する新しい試み。いずれの主題に向かうにせよ、ホモ・パティエンス(苦悩する人)に関する古典フランクル『苦悩の存在論』【136】が思索の糸口となる。

No. 書名 著者 出版社
123 臨床の知とは何か 中村雄二郎 岩波書店
124 臨床哲学講義 木村敏 創元社
125 〈弱さ〉のちから 鷲田清一 講談社
126 生きがいについて 神谷美恵子 みすず書房
127 苦海浄土 石牟礼道子 藤原書店
128 よるべなき両親 M・J・ランゲフェルド著 
和田修二監訳
玉川大学出版部
129 ランゲフェルト教育学との対話 和田修二・皇紀夫・矢野智司編 玉川大学出版部
130 新編森昭著作集 第8巻 人間形成論 森昭著 田中毎実編・解題 学術出版会
131 臨床的人間形成論へ 田中毎実 勁草書房
132 誕生のインファンティア 西平直 みすず書房
133 子どもと哲学を 森田伸子 勁草書房
134 教育臨床学 田中智志 高陵社書店
135 災害と厄災の記憶を伝える 山名淳 ・矢野智司編著 勁草書房
136 苦悩の存在論 V.フランクル著 真行寺功訳 新泉社
137* 苦悩することの希望 浮ヶ谷幸代編著 協同医書出版社


【10.人間形成のコスモロジー─宗教から教育を照らし出す 小野文生】

 宗教は教育と親和的である。少なくとも、かつてはそうだった。どちらも教え導く営みで、どちらも人が変わる現象を含む。また、超越性やいのちに触れる仕事でもある。人はどこから来てどこへ行くのか。なぜ人は生き、なぜ死ぬのか。そんな人生の問いを、いずれも大切な課題として引き受けていた。ところが、いつのまにか宗教と教育は別物ということになった。宗教なんてうさん臭い、と教育の側がサヨナラした。神仏なんてフツウの学校現場にはなじまない。教育には客観的で、科学に裏打ちされた根拠が必要だ。そんな意見が大勢となって、教育は科学に宗旨替えした。「魂」は、幻想だとして見向きもされなくなるか、測定可能な心理や脳機能に切り詰められた。教師の言葉や身体からは権威が剥ぎ取られ、死も老いも病も学校では隠された。方法やカリキュラムや技術はどんどん精緻になっていったが、かわりに教育という営みの〈底〉が抜けてしまった。以来、人生をめぐる問い、教育の営みを支える根拠への問いに、教育は答えるすべを失ってしまった。そのせいかどうか知らないが、教育荒廃への万能薬として宗教の復権を叫ぶ勢力もある。さて、どうすればよいのか――。

 核心にいきなり迫りたい人には、誕生以前や死後を含めた円環的ライフサイクルを発達理論と交叉させながら、慎重に丁寧に思考を重ねる西平直『魂のライフサイクル』【138】がいい。人間の成長発達や教育をめぐる「当たり前」が瓦解し、まるで違う風景が見えてくる。その前に少し準備運動をしたい人は、特定の信仰に拠らない聖性・宗教性が教育に果たす意味について考える吉田敦彦『ブーバー対話論とホリスティック教育』【139】、死、病、被災など苦悩や悲嘆の経験に寄り添うためのスピリチュアルケアの豊かな内容を示した鎌田東二編『スピリチュアリティと教育』【140】あたりから。スピリチュアリティと教育の連綿たる思想史へ分け入りたいなら菱刈晃夫『近代教育思想の源流』【141】をぜひ。

 宗教により迫りたいなら、信念や儀礼の検討から宗教現象を論じた宗教社会学の金字塔デュルケム『宗教生活の原初形態』【142】は欠かせないし、動物性、供犠、戦争などを対象に〈聖なるもの〉の秩序生成のエコノミーを論じたバタイユ『宗教の理論』【143】もお勧め。準ルールと超ルールの両義性という観点からマナーや礼儀作法を教育の主題にした矢野智司編『マナーと作法の人間学』【144】、クリスマスや正月など宗教的年中行事の人間形成的意味に迫った鈴木晶子/Ch.・ヴルフ編『幸福の人類学』【145】は、「学校」イメージにとらわれた狭く窮屈な教育観を解除してくれる。

 世界の宗教教育事情を知るには江原武一編『世界の公教育と宗教』【146】、フランスの政教分離問題から教育に迫るなら伊達聖伸『ライシテ、道徳、宗教学』【147】を。改正教育基本法で「宗教に関する一般的な教養」が加わったが、日本の学校で宗教はどう教えられてきたか。教科書の記述の偏りを指摘する藤原聖子『教科書の中の宗教』【148】は盲点を突いている。仏教文化が培ってきた豊かな教育文化を垣間見せてくれる日本仏教教育学会編『仏教的世界の教育論理』【149】は圧巻。下程勇吉『宗教的自覚と人間形成』【150】と岡田渥美編『老いと死』【151】は死、老い、病など「宗教」に追いやられていた主題を教育に取り戻す試み。佐藤学『学び その死と再生』【152】は著名な教育学者の魂の遍歴から教育の本態に迫った隠れた名著。やわらかい文体で読者を人間形成のコスモロジーの思索へ誘う。

No. 書名 著者 出版社
138 魂のライフサイクル 増補新版 西平直 東京大学出版会
139 ブーバー対話論とホリスティック教育 吉田敦彦 勁草書房
140 スピリチュアリティと教育 鎌田東二 企画・編 ビイング・ネット・プレス
141 近代教育思想の源流 菱刈晃夫 成文堂
142 宗教生活の原初形態 (上) デュルケム著 古野清人訳 岩波書店
  宗教生活の原初形態 (下) デュルケム著 古野清人訳 岩波書店
143 宗教の理論 ジョルジュ・バタイユ著 湯浅博雄訳 筑摩書房
144 マナーと作法の人間学 矢野智司編著 東信堂
145 幸福の人類学 鈴木晶子 クリストフ・ヴルフ 編 ナカニシヤ出版
146 世界の公教育と宗教 江原武一編著 東信堂
147 ライシテ、道徳、宗教学 伊達聖伸 勁草書房
148 教科書の中の宗教 藤原聖子 岩波書店
149 仏教的世界の教育論理 日本仏教教育学会編 法蔵館
150 宗教的自覚と人間形成 増補 下程勇吉 モラロジー研究所
151 老いと死 岡田渥美編 玉川大学出版部
152 学び その死と再生 佐藤学 太郎次郎社エディタス


【11.人類学/人間学─人間や教育の〈境界〉を問い直す 小野文生】

 いわく、ヒトは動物とは違う、人は機械ではない、人間は野生人ではない……。18世紀以降、そんな差異や否定を重ねてはフマニタス/アントロポス/ホモ・サピエンスなどの人間概念を構築し、教育学は成立した。教育学は、人間の内外の境界確定を明確な/密かな課題としてきたのだ。他方、昨今の教育学の議論はともすれば学校が云々、教育政策が云々。大切だけど、前提となる教育の理解があまりに狭すぎる。そう思ったら人類学に接するといい。教育学を自縛する縄がふわりとほどかれてゆく。むろん人類学が万能と言いたいわけではない。だが、課題を含め、教育学は人類学と共有するものが多い。

 かつて人間は動物に学んだ。動物を恐れ、殺し、喰うだけでなく、動物に返礼し、動物と協力し、動物に喰われ、動物を崇敬した。この動物/野生と人間が持っていた(いる)豊かな交感・交流を、教育学はいかに無視/否認しているか。得意げに道徳教育の対象(だけ)に押し込めるなんてもってのほかだ。自然の擬人化と人間の擬自然化の配分などアイデアの宝庫・レヴィ=ストロース『野生の思考』【153】を始め、コーン『森は考える』【154】や菅原和孝『動物の境界』【155】は、人間を超えたものに触れ、人間の〈境界〉が揺れ動く経験を教えてくれる。ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』【156】は人間と動物に共通する根源的な生の範疇として遊びを論じ、生の「過剰さ」の特質を壮大に描いた。太田素子『子宝と子返し』【157】が示す通り、「萬物の霊としての人間」や動物と人間の違いの意識は日本近世の子育て言説にも登場する。

誕生から死までの多様な儀礼を分析したファン・へネップ『通過儀礼』【158】、贈与と交換を分析しつつ人間的秩序の起源に迫るモース『贈与論』【159】、ライフサイクルの比較人類学的研究・ターンブル『豚と精霊』【160】は、教育と人間形成を「通過」現象、コミュニオン=コミュニケーションの秩序生成・展開の出来事として再発見させてくれる。

アンソロポロジーの他の片面=人間学はどうか。20世紀半ば以降、教育人間学が一大勢力を誇った。原型はたいていボルノウらのドイツの教育人間学、そして哲学的人間学だった。インパクト大だったのは「環世界」概念を提唱したユクスキュル『生物から見た世界』【161】。「世界開放性」で有名なシェーラー『宇宙における人間の地位』【162】は哲学的人間学の出発点。プレスナー、ゲーレン、カッシーラーらと併読したい。とはいえ、カント人間学に人間(学)概念の構築と解体の原史を見るフーコー『カントの人間学』【163】を読めば、素朴な人間概念をもはや前提にできない。そんな「人間の死」から出発するヴルフ『教育人間学へのいざない』【164】は、ポストモダン以降の新しい歴史人類学的アプローチ。宮澤康人『〈教育関係〉の歴史人類学』【165】は〈教育関係〉の多角的考察を通して「教育する人間」の再定義に挑む。

ベイトソン『精神と自然』【166】とアガンベン『幼児期と歴史』【167】は、まったく毛色が違うが、どちらもジャンルの枠を壊しながら、人間存在の生の事実に驚くべき仕方で触れる〈人間〉の喪失=発見の書。

以上の思索すべての到達点にして出発点として、絵本というメディアを介して教育の〈動物-人間学〉を構想した矢野智司『動物絵本をめぐる冒険』【168】をぜひ。教育思想研究の可能性を切り拓いた記念碑的作品だ。人間の〈境界〉から教育の〈境界〉を問い直すためにこそ、風通しがよく展望の開けた場所へ出て、教育の原風景に出会ってほしい。

No. 書名 著者 出版社
153 野生の思考 クロード・レヴィ=ストロース著
大橋保夫訳
みすず書房
154 森は考える エドゥアルド・コーン著 
奥野克巳・近藤宏監訳 
近藤祉秋・二文字屋脩共訳
亜紀書房
155 動物の境界 菅原和孝 弘文堂
156 ホモ・ルーデンス ホイジンガ著 高橋英夫訳 中央公論新社
157 子宝と子返し 太田素子 藤原書店
158 通過儀礼 ファン・ヘネップ著 
綾部恒雄・綾部裕子訳
岩波書店
159 贈与論 他二篇 マルセル・モース著 森山工訳 岩波書店
160 豚と精霊 コリン・ターンブル著 太田至訳 どうぶつ社
161 生物から見た世界 ユクスキュル クリサート著 
日高敏隆・羽田節子訳
岩波書店
162 宇宙における人間の地位 マックス・シェーラー著 
亀井裕・山本達訳
白水社
163 カントの人間学 ミシェル・フーコー著 王寺賢太訳 新潮社
164 教育人間学へのいざない クリストフ・ヴルフ著 
今井康雄・高松みどり訳
東京大学出版会
165 〈教育関係〉の歴史人類学 宮澤康人 学文社
166 精神と自然 グレゴリー・ベイトソン著 
佐藤良明訳
新思索社
167 幼児期と歴史 ジョルジョ・アガンベン著 
上村忠男訳
岩波書店
168 動物絵本をめぐる冒険 矢野智司 勁草書房


【12.子ども、未知なるもの─教育と啓蒙の臨界 下司 晶】

 近頃の子どもは変わった、子どもがわからないとしばしばいわれる。だが、そもそも「子ども」とは何ものなのか。この問題を考える上でアリエスを避けて通ることはできない。

 「子ども(期)」とは近代に特有の歴史的構築物であり、中世までは子どもを〈子ども〉とは認識していなかったというアリエスのテーゼは、「アリエス・インパクト」と呼ばれるほどの衝撃を与えた。『「教育」の誕生』【169】は、『〈子供〉の誕生』【47】を補完する日本独自の論文集である。

 アリエスは、ポストモダニズムとともに思想的課題をもたらした。子どもは現代社会のなかの未開人であり、他者である。『エミール』【38】に代表される「子どもの発見」は、大人=西洋近代社会の論理に基づくものだ。中村雄二郎『術語集』【170】は、アリエス、フーコー、レヴィ=ストロースが、子ども、狂人、未開人を、近代理性の他者として問題化したという。ポストモダンの喧伝者リオタールは『インファンス読解』【171】で、「言葉を持たぬもの」としての乳幼児を西洋思想の暗点として示す。本田和子『異文化としての子ども』【172】は、子どもの非合理性や他者性を現代文化を逆照射する視点とした。

 アリエス・テーゼは、教育の対象として子どもを自明視してきた教育学への挑戦でもあった。森田伸子『テクストの子ども』【173】は、ルソーやドストエフスキーにおける「テクスト化された子ども」の背後に、「テクスト化されえない存在としての子ども」を透かしみる。子どもを一つの思想とみなす矢野智司『子どもという思想』【174】は、教育学解体の極限まで思考を突き詰める教育人間学の好例である。西平直「教育はカマラを幸せにしたか」【175所収】は、野生児を教育することの意味を根源的に問う。山名淳『「もじゃぺー」に〈しつけ〉を学ぶ』【176】は、大人のいうことを聞かない子どもたちが悲惨な運命をたどる風変わりな「しつけ絵本」を通して、文明化という営みが問いなおされる。いずれもフロイト「文化への不満」【177所収】とあわせて読んでほしい。

アリエスは歴史学には社会史という新たな方法を提起し、子ども史という領野を切り開いた。『「教育」の誕生』【169】の編者である中内敏夫の『心性史家アリエスとの出会い』【178】は、アリエスのもとで学んだ日々が回顧される。北本正章『子ども観の社会史』【179】は、イギリス近代における子ども像の変容を探るアリエス派社会史の好例。ストーン『家族・性・結婚の社会史』【180】は、イングランドにおける「〈子ども〉の誕生」の背景に、家族形態の変化があったという。ポロク『忘れられた子どもたち』【181】は、子どもは昔から特別な存在として認められてきたと、アリエスやストーンの説に異を唱える。宮澤康人『大人と子供の関係史序説』【182】は、大人と子どもの関係の変化を歴史的に問いなおす。カニンガム『概説 子ども観の社会史』【183】はルネッサンス以後500年の欧米における子ども史を俯瞰する。

 ポストマン『子どもはもういない』【184】は、アリエス・テーゼにマクルーハンのメディア論をミックスし、文字を介さずに情報を得ることのできる新メディア=テレビによって、大人/子どもの区分は消滅したという。

 子どもを語ることは、結局のところ私たち自身を問いなおすことだ。この当たり前のことに改めて気づかせてくれたことこそ、アリエス・テーゼの最大の意義かもしれない。

No. 書名 著者 出版社
169 「教育」の誕生 フィリップ・アリエス著 
中内敏夫・森田伸子編訳
藤原書店
170 術語集 中村雄二郎 岩波書店
171 インファンス読解 ジャン=フランソワ・リオタール著 小林康夫・竹森佳史・根本美作子・高木繁光・竹内孝宏訳 未來社
172 異文化としての子ども 本田和子 筑摩書房
173 テクストの子ども  森田伸子 世織書房
174 子どもという思想 矢野智司 玉川大学出版部
175 教育人間学のために 西平直 東京大学出版会
176 「もじゃぺー」に〈しつけ〉を学ぶ 山名淳 東京学芸大学出版会
177 幻想の未来/文化への不満 フロイト著 中山元訳 光文社
178 心性史家アリエスとの出会い 中内敏夫 藤原書店
179 子ども観の社会史 北本正章 新曜社
180 家族・性・結婚の社会史 L.ストーン著 北本正章訳 勁草書房
181 忘れられた子どもたち R.A.ポロク著 中地克子訳 勁草書房
182 大人と子供の関係史序説 宮澤康人 柏書房
183 概説 子ども観の社会史 ヒュー・カニンガム著 北本正章訳 新曜社
184 子どもはもういない ニール・ポストマン著 小柴一訳 新樹社


【13.人間形成と倫理─自己と他者の関係性に成り立つ世界 尾崎博美】

 「倫理」とは「人の倫(みち)」であるといわれる。それは、生物としての「ヒト」が存在としての「人間」へと変容していく「人間形成」の過程にほかならない。フーコーが『主体の解釈学』【185】のなかで問いかける「自己への配慮=他者への配慮」の議論は、自己が「自己」として確立していく過程を、「他者」とかかわり・その関係性のなかで「自己」が「世界」に編み込まれる過程として描く。スタンディッシュの『自己を超えて』【186】は、近代的な一人の「自己」の議論を言語、解釈、愛、といった視点から問い直すことで新たな展開を提示する。さらにバトラーの『自分自身を説明すること』【187】は、「自己」にとって絶対的な、そして大切な境界線としての「身体」の重要性に光を当てる。自己と他者の境界を揺らがして「自己を超える」ことで、私たちは何を得て、どこへ向かうのかを問うてみるのも面白い。

 「問い」があれば「回答」が欲しくなる。生田久美子『「わざ」から知る』【188】は、自己と他者をつなぐツールとして、科学的記述に還元されない「わざ」の「ことば」や「思考」があることを示す。松下良平『知ることの力』【189】は、理性と感情とを分離する見方に対して、「知る」という営みがその双方を結び付け、双方の領域において働くことを説明する。同『道徳教育はホントに道徳的か?』【190】は、教育を道徳性の問題として捉えるのみならず、道徳的なかかわりとして動的に捉える目を開く。この3冊の読後には、「学び」なるものが自己‐他者をつなぐ装置としての役割を担うものとして新しい顔を見せてくれるだろう。

 自己と他者との関係性をとらえ直すためのさらなるキーワードは「生成」である。矢野智司『贈与と交換の教育学』【191】は、教師から生徒への「教える」行為を「贈与」として捉え、単なる情報の授受に還元されえない教育の形を描く。また高橋勝『経験のメタモルフォーゼ』【192】は、管理教育と放任教育の対立図式を超えて、いかにして子どもたちが根本的かつ自発的な変成(私たちが素朴に成長と呼ぶもの)を経験しうるのかを示す。両書に共通するのは、想像性と創造性を含んだ「教育」の理論化を目論む点である。

 そして、その「生成」を可能にするものが「環境」である。山名淳『都市とアーキテクチャの教育思想』【193】は、街や建築物それ自体が、人々に働きかけ、その変容を促す機能をもつことを鮮やかに描く。また、レイヴ&ウェンガー『状況に埋め込まれた学習』【194】、本テーマの「古典」ともいうべきハイデガー『存在と時間』【195】は、人間が学び、変わり、成長する過程そのものが、それを取り巻く環境世界に、まさしく「埋め込まれている」「投げ出されている」ことを解き明かす。2冊の書籍の読後には、自らが身を置くその「空間」そのものが、自分自身の在り方を決定づける要因として見えてくるに違いない。

 以上の書籍が導き出すように、自己と他者の織物としての「世界」を獲得していく過程こそ、人間形成の過程として「ヒト」が「人間」となる「倫理(みち)」にほかならない。私たちは、世界に意味を与える主体であると同時に世界から意味を与えられる「主体」でもある。膨大なしがらみによって結実している固定点として「自己」を捉える一方で、無限の他者によって最大限の世界に開かれていく「自己」を体感してほしい。

No. 書名 著者 出版社
185 主体の解釈学 ミシェル・フーコー著 
廣瀬浩司・原和之訳
筑摩書房
186 自己を超えて ポール・スタンディッシュ著 
齋藤直子訳
法政大学出版局
187 自分自身を説明すること ジュディス・バトラー著 
佐藤嘉幸・清水知子訳
月曜社
188 「わざ」から知る 生田久美子 東京大学出版会
189 知ることの力 松下良平 勁草書房
190 道徳教育はホントに道徳的か? 松下良平 日本図書センター
191 贈与と交換の教育学 矢野智司 東京大学出版会
192 経験のメタモルフォーゼ 高橋勝 勁草書房
193 都市とアーキテクチャの教育思想 山名淳 勁草書房
194 状況に埋め込まれた学習 ジーン・レイヴ エティエンヌ・ウェンガー著 佐伯胖訳 産業図書
195 存在と時間 上 M. ハイデガー著 松尾啓吉訳 勁草書房
  存在と時間 下 M. ハイデガー著 松尾啓吉訳 勁草書房
196* 身体教育の思想 樋口聡 勁草書房
197* もうひとつの声 キャロル・ギリガン著 岩男寿美子監訳 生田久美子・並木美智子訳  川島書店
198* 女性にとって教育とはなんであったか ジェイン・ローランド・マーティン著 村井実監訳 坂本辰朗・坂上道子訳 東洋館出版社
199* 戦後教育のジェンダー秩序 小山静子 勁草書房
200* 「学び」の復権 辻本雅史 岩波書店


【14.戦後教育とポストモダン─近代をどう評価するか 関根宏朗】

 わが国の教育学シーンにおいて「戦後教育」というコトバは単純な普通名詞ではなく、特別な意味を含み持ったひとつの固有名詞として見なされる。すなわち第二次世界大戦後、帝国憲法下の国家主義的な教育に対する痛切な反省がふまえられながら、ときにマルクス主義的な解放の志向性を理論立ての背面に密やかにしのばせつつも、しかし表向きには子どもの「発達」可能性や国民の教育権の保障を旗印に展開されてきた教育科学や運動の総称。この戦後教育(学)はまた近代的な啓蒙の思考枠組みのうちに理論的な水脈を認めながら、わが国における20世紀後半の教育学をたしかに牽引してきた。井深雄二による『戦後日本の教育学』【201】は戦後教育学における論争史を再整理しその論的な厚みに光をあてている。

 ところで1990年代以降、この戦後教育が有する近代性についてそれを批判的に再考しようとする機運が高まってきた。「近代教育学批判という思想運動」を掲げて1991年に立ち上げられた近代教育思想史研究会(のちの教育思想史学会)の会誌『近代教育フォーラム』や、大学闘争を経験した世代によって編まれた『教育学年報』【202】は、そうした戦後教育の批判的点検の舞台として大きな役割を果たした。また早くからフーコーやアリエスが読まれていた教育社会学分野でも、森重雄他編『〈近代教育〉の社会理論』【203】のように戦後教育学が前提していた知や主体、国民国家や教育権といった概念の徹底した相対化を図った重要な仕事が纏められた。

 むろんこうした戦後教育学における近代的な規範性へと向けられた批判の興りは、フランスを中心とした欧米諸国からのポストモダン思想の移入と無関係ではない。近代の自明的正当性の終焉を診たリオタール『ポストモダンの条件』【204】に見られる脱規範化の構えは、教育思想分野にも相当なインパクトをもたらした。リニアな発達論に代わり複線的な人間形成論が様々なかたちでうちだされ、同様に知性観も等しく相対化の作業に付された。知の多元的把握の可能性や暗黙知や身体知の再評価とともに、スローンは『洞察=想像力』【205】でシュタイナー的な全体性をポストモダンの知と位置づけなおしさえした。また過去の重要な規範であったマルクス主義や社会主義における解放への要請は、ポストモダン的な差異の思想へと目配りをした批判的教育学のうちに理論的に引き取られていった。

 教育思想のこうした経験は学としてそこに確かな豊かさをもたらしたといえる。だがやはり忘れてはならないのは、抜きがたく啓蒙的な側面を備える「教育」が近代性と親和的であるという事実である。我々はそこに容易に背を向けてしまってもいいものか。省みれば有名なハーバーマス「近代――未完のプロジェクト」【206所収】のほか、近代性をひとつのイデオロギーと見立てたうえで擁護するジェイムソン『近代という不思議』【207】、グローバル化等の現代的事象を内在的な近代自体の組み換えの過程とみるベック他『再帰的近代化』【208】など、一定の留保や葛藤をともないながらも近代主義を決して放棄しない思想家は数多い。近代をめぐるこうした思想群から教育学が学ぶべきところはいまなお大きく残されていると言えよう。

 あるいは戦後教育そして近代の擁護とその批判をともにバランスよく見据えたうえで、その先の教育学を見通そうとする意欲的な仕事も散見される。田中智志の『他者の喪失から感受へ』【209】や石戸教嗣他編『システムとしての教育を探る』【210】は比較的入門的な難易度で読みやすくもありながら教育におけるアクチュアルな事象への存在論的・システム論的な考察がみずみずしい筆致で深められており学ぶところが多い。今井康雄『メディアの教育学』【211】は関係の間接性を梃子にして教育の再定義へと果敢に乗り出した、わが国における教育思想研究の水準をリードした名著である。下司晶『教育思想のポストモダン』【212】はまさに戦後教育をめぐる多層的な構図のレビューをふまえてポスト・ポストモダンの教育学を意欲的に展望する重要な仕事であり、本欄で述べた構図をより明快に理解するうえでも一読をお薦めする。なお他項目でも言及されているが、勁草書房の教育思想双書には全体として冒険的なテーマを主題とした良書が多く、初学者にもそうでない方にも強く推したい。同様にシリーズ物ということで言えば、「教育 変革への展望」を銘打った全7冊の岩波講座(2016-17年)は分野を代表する編者らが上記構図を明確にふまえたうえで教育学の再構築を正面から引き受けた好企画であり、わけても学際的な対話が複数取り入れられた第一巻は示唆に富む。

No. 書名 著者 出版社
201 戦後日本の教育学 井深雄二 勁草書房
202 教育学年報10 教育学の最前線 藤田英典・黒崎勲・片桐芳雄・
佐藤学編
世織書房
203 〈近代教育〉の社会理論 森重雄・田中智志編著 勁草書房
204 ポスト・モダンの条件 ジャン=フランソワ・リオタール著 小林康夫訳  水声社
205 洞察=想像力 ダグラス・M・スローン著 
市村尚久・早川操監訳
東信堂
206 近代 未完のプロジェクト J.ハーバーマス著 三島憲一編訳 岩波書店
207 近代(モダン)という不思議 フレドリック・ジェイムソン著 
久我和巳・斉藤悦子・滝沢正彦訳
こぶし書房
208 再帰的近代化 ウルリッヒ・ベック アンソニー・ギデンズ スコット・ラッシュ著 松尾精文・小幡正敏・叶堂隆三訳 而立書房
209 他者の喪失から感受へ 田中智志 勁草書房
210 システムとしての教育を探る 石戸教嗣・今井重孝編著 勁草書房
211 メディアの教育学 今井康雄 東京大学出版会
212 教育思想のポストモダン 下司晶 勁草書房
213* 岩波講座 現代教育学第4巻 
近代の教育思想
梅根悟・大田尭編 岩波書店
214* 現代教育の思想と構造 堀尾輝久 岩波書店
215* 現代教育学の地平 増渕幸男・森田尚人編 南窓社

 



【ブックガイド執筆者】

松下 良平(まつした りょうへい)

1959年生まれ。武庫川女子大学文学部教授(教育思想・教育哲学)。教育思想史学会会長。京都大学大学院教育学研究科教育学専攻学修認定退学。博士(教育学)。主な著書に『道徳教育はホントに道徳的か?』(日本図書センター、2011年)『道徳の伝達』(日本図書センター、2004年)『知ることの力』(勁草書房、2002年)など。
Q:フェアに際してひとこと――やわらかくてわかりやすい本は心を硬直させ、堅くて難い本は時間はかかるけれど心を解きほぐすことが多いと日々感じています。


下司 晶 (げし あきら)
1971年生まれ。日本大学文理学部教授(教育哲学・教育思想史)。教育思想史学会理事・編集委員。中央大学大学院博士後期課程単位取得退学。博士(教育学)。主な著著に『教育思想のポストモダン』(勁草書房、2016年)、『〈精神分析的子ども〉の誕生』(東京大学出版会、2006年)など。
Q:私にとって教育思想とは?――学生時代の印象は「説教くさいオヤジ」。しかしそう感じたのは周囲の噂(先行研究)のせいで、実際につきあってみたら案外、破天荒で無頼派かも? 今はむしろ「自由になるための案内人」といえるかもしれません。


小野 文生(おの ふみお)
1974年生まれ。同志社大学グローバル地域文化学部准教授(哲学・思想史・教育学)。教育思想史学会理事・編集委員。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程学修認定退学。主な著書に『言語と教育をめぐる思想史』(共著、勁草書房、2013年)、『幸福の人類学』(共著、ナカニシヤ出版、2013年)、50 Jahre Martin Buber Bibel(共著、Lit-Verlag, 2014年)、『災害と厄災の記憶を伝える』(共著、勁草書房、2017年)など。
Q:教育思想の魅力とは?――その語の内実にはそのつど違いがあるにせよ、いかなる時代であれ、いかなる社会であれ、教育/学習しなければ人類は生き存えることはできなかった――この単純にして厳然たる事実に驚いて以来、もっとも広い意味での生成変容(生きること)の現象からこころが離れません。


生澤 繁樹(いざわ しげき)
1977年生まれ。名古屋大学大学院教育発達科学研究科准教授(教育哲学・教育思想史)。名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士課程単位取得満期退学。博士(教育学)。主な著書に『日本のデューイ研究と21世紀の課題』(共著、世界思想社、2010年)、『道徳教育論』(共著、一藝社、2014年)、『現代の学校を読み解く』(共著、春風社、2016年)、『未来をつかむ学級経営』(共著、学文社、2016年)、『教育経営論』(共著、学文社、2017年)など。
Q:私にとって教育思想とは?──教育にこだわりながら、しかし教育を越えてゆき、社会に抗いながら、それでも社会をつくろうとするためのもの。さまざまな葛藤や板挟みに耐えつつ、それでもなお新たな糸口を見いだそうともがき格闘していた思想家たちのテクストに触れながら、教育思想の立ち上がる瞬間を感じてみたいと思います。


尾崎 博美(おざき ひろみ)
1978年生まれ。東洋英和女学院大学人間科学部准教授(教育学・教育哲学)。東北大学大学院教育学研究科博士課程後期修了。博士(教育学)。主な著書に『ワークで学ぶ教育学』シリーズ(ナカニシヤ出版、2015年~2017年)、『「甘え」と「自律」の教育学』(世織書房、2015年)など。
Q:私にとって教育思想とは?――現在、ハマりにハマっている「教師」という仕事の面白さ・奥深さを叩き込んでくれた、私と他者と世界をつないでくれる大切なツールです。


関根 宏朗(せきね ひろあき)
1980年生まれ。明治大学文学部准教授(教育人間学・道徳教育)。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。主な著書に『「甘え」と「自律」の教育学』(分担執筆、世織書房、2015年)、『教員養成を問いなおす』(共編著、東洋館出版社、2016年)など。
Q:私にとって教育思想とは?――大学で「教育」に係る仕事をさせていただいていて、いつも気を抜くと自分のうちに芽生えてしまいがちな大小の思い込み。先人たちによる教育思想の蓄積は、折にふれてそうした思い込みを崩し、また省みるための前向きな勇気を与えてくれているように思います。


桑嶋 晋平(くわじま しんぺい)
1986年生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程(教育思想史・教育哲学)。東海大学非常勤講師・日本児童教育専門学校非常勤講師。主な論文に「初期勝田守一における「非合理的なもの」をめぐる思想」(『教育哲学研究』第111号、2015年)、「京都学派の思想圏における勝田守一の思想形成」(『近代教育フォーラム』第25号、2016年)など。
Q:教育思想との出会い――とある居酒屋での会話をきっかけに、勝田守一という教育学者の文章を読みはじめました。それ以来、いろいろ読んできましたが、よくわからない場合が多いです。しかし、そのわからなさこそが、ふとしたとき、新しい思考をもたらしてくれるのだと最近肌身で感じています。



皆さまのご来店を心よりお待ちしております。

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