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教育人間論のルーマン

人間は〈教育〉できるのか

教育人間論のルーマン

そもそも教育とはどういう営みなのか。豊かな人間形成と厳しい選抜という矛盾を同時にはらむ近代教育学の悲惨と栄光の解明。

著者、編者、訳者など 田中 智志 編著
山名 淳 編著
ジャンル 社会・女性
ISBN 978-4-326-60174-5
出版年月 2004年6月
判型・ページ数 A5判・320ページ
定価 本体3,400円+税
在庫 在庫僅少
 

内容説明

自在に作り変えたり、精確に評価したりできない教育不可能な存在である子どもを、われわれはなぜ〈教育〉できるのか。安直な新しい教育理念の提案を戒め、真の教育や画期的な教育方法などありえないことを冷徹に記述する自己創出システム論の読解を通じて、教育哲学と教育社会学の架橋を試みる。

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目次

はしがき

序章 ルーマンの教育システム論[田中智志・山名淳]
 一 自己創出するシステム
 二 教育システムのメディア
 三 教育システムの安定性
 四 なぜ教育学を批判するのか

第一部 教育学を疑うシステム理論

第一章 教育は社会化を制御できるのか?[田中智志]
 一 教育は社会化ではない
 二 社会化という概念
 三 自己言及するシステム
 四 予期形成としての社会化
 五 自己創出を看過し操作する
 六 教育学を疑うルーマン

第二章 教育システムのコードは何か?[田中智志]
 一 教育を特徴づけるものは
 二 機能的分化という前提
 三 教育システムのコード
 四 身分からキャリアへ
 五 子どもを単純な機械と見なす教育
 六 教育システムの自律性とは何か
 七 つきまとう選択コードによる評価

第三章 人間学に頼る教育学はなぜ頼りにできないのか?[下地秀樹]
 一 教育学への違和感――「可能か?」論文のテーマ
 二 「教育学を問う」ということ――複雑性の縮減
 三 ルーマンの問い方と縮減の特質
 四 科学として離陸する教育学
 五 体系化し閉塞する教育学
 六 社会システム理論による問いの組み替え
 七 意味世界と社会構造――「可能か?」論文再考

第二部 教育的コミュニケーションの根本問題

第四章 なぜ教育のテクノロジーはないのか?[山名淳]
 一 教育学に対する挑発の始まり
 二 教育のテクノロジーについて論じることはできるのか
 三 「テクノロジー補完テクノロジー」については語りうる――ルーマンの因果プラン論
 四 教育学のテクノロジー問題への取り組みはなぜ不十分だったのか――教育学に対する挑発
 五 教育学における「社会学的啓蒙」が始まった――教育学という他者との共存を求めて

第五章 教育システムの「構造的欠如」とは何か?[山名淳]
 一 「テクノロジー欠如」問題から「構造的欠如」問題へ
 二 「欠如」とパラドクス
 三 教育システムのパラドクスとは何か
 四 教育システムの「構造的欠如」とテクノロジー問題
 五 「テクノロジー補完テクノロジー」を補完する学校特有の「差異」構造
 六 教育システム論の基礎としての「構造的欠如」論

第六章 教育プログラムは人間を変えられるのか?[高橋聡]
 一 教育が人間を変容させるのか
 二 起源への遡及から機能の評価へ
 三 教育過程が生みだす時間的切迫と経歴
 四 メディアなきコミュニケーションにおける均質化
 五 教育システムを正当化する均質化志向

第三部 教育の自己創出、人間の自己創出

第七章 教育のメディアとは何か?[今井重孝]
 一 教育システムを自立させるメディア
 二 教育システムとメディア/コード
 三 コミュニケーションと意識の構造的カップリング
 四 子どもというメディアを教育システムはいかに扱うか
 五 文字印刷と子どもメディア
 六 教育メディアをめぐる諸問題

第八章 教育システムを統一するものは何か?[今井重孝]
 一 教育システムと教育意図
 二 システムの統一性
 三 教育学の理論的限界について
 四 自己叙述におけるシステム統一
 五 人格と教育システムの連関
 六 ルーマンの議論から何が見えるか

第九章 自己創出する人間を教育できるか?[田中智志]
 一 人間の自己創出とは
 二 自己言及から自己創出へ
 三 主体と自己創出
 四 同一性と自己創出
 五 自己創出する子どもへの教育
 六 教育可能性と教育の可能性

終章 自己創出のなかの生成[田中智志]
 一 教育人間学の生成概念との対比
 二 発達としての教育、生成としての教育
 三 語りえない外部への思考

索引

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