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『教育思想事典 増補改訂版』刊行記念フェア 「現代を解きほぐす教育思想」
2017.10.01
言語と教育をめぐる思想史
いかに教育と文化の「グローバル化」が進もうと、我々はある特定の言語の内部に生まれ、そこで生きるしかない。しかし自己が属する言語を、我がものではない言語のように眺めるとどうか。本書における思索の旅は、人間が言語を話す存在であるという普遍的事実に思いをめぐらせ、教育と言語の関係を本質的に捉える視点を提供する。
はじめに
序論 言語と教育の限界をめぐる思想史序説[森田伸子]
一 教育に先立つ言語――語りえないものとしての言語
二 神学的言語――もの/心の言葉(内的な言葉)/ことば(外的な言葉)
三 近代教育思想における言語
四 現代言語思想と教育
五 教育と書物
六 おわりに――「告白」という教育
第一章 コメニウスにおける読書論の諸様相――中世/ルネサンス/近代[北詰裕子]
はじめに
一 コメニウスの読書論の位置づけをめぐって――中世・ルネサンスにおける書物と教育
二 コメニウスによる「書物」の位置づけ
三 読むこと、選択すること、書くこと
四 あなたの書物
五 「何を」読むのか
むすびにかえて――書物の氾濫と言語の混乱に抗して
第二章 コンディヤック――観念・思考・記号[上原秀一]
はじめに
一 パルマ公王子のカリキュラム(1)――予備授業
二 パルマ公王子のカリキュラム(2)――予備授業の後
三 教育方法と教育目的における言語の位置
四 国語と言語使用の進化と退化
五 「たわいなさ」を免れる――デリダのコンディヤック論
第三章 フイエの「観念力」と教育――国民形成と古典語[綾井桜子]
はじめに
一 アルフレッド・フイエ「観念力」の哲学の思想史的位置づけ
二 力と活動としての言葉・観念
三 いかなる古典語学習が必要か――文法・文学・記憶・美
四 フランス語作文と国民形成
五 道徳的─美的言語としての古典語――「至高の説得」
おわりに
第四章 ユダヤ思想と〈隔たりと分有〉の言語的経験――マルティン・ブーバーにおける翻訳・伝承・対話をめぐる思考[小野文生]
はじめに――言語への愛
一 声、教え、哲学――生の肯定と刷新へ向けて
二 身もだえ、パトス、経験――時代の痙攣との距離
三 疚しさと疼き――個人的経験から
四 異郷なるものと所有――たったひとつの、私のものではない……
五 故郷たる異郷――埠頭の生
六 〈隔たりと分有〉の言語的経験
七 翻訳、伝承、対話――尽きせぬ思考へ
八 必然と可能のあいだで――むすびにかえて
第五章 シュタイナーにおける言語の芸術性と世界の認識――身体と言語の新たな布置をめぐって[柴山英樹]
はじめに
一 言語における芸術性
二 世界の認識と身体的な芸術行為
三 シュタイナーとマウトナーの言語観の相違
四 言語の創造性――言語と世界の連関
五 言語による教育の可能性――生き生きした現象を言語で表現すること
おわりに――読み書きについて
第六章 言語論的転回と言語の教育をめぐる思想――ソシュール言語学の日本への導入と「読む」ことの教育をめぐって[渡辺哲男]
はじめに
一 小林英夫にとっての言語論的転回
二 小林英夫の「文体論」――言語と「芸術」を同一線上に捉える
三 時枝誠記の「文章論」――作者の表現行為の追体験
四 「文体論」と「文章論」の国語教育論への援用
五 「意味の限定」と「個物の一般化」は「対立」するのか?――西田幾多郎を参照枠にして
おわりに――テクストを「読む」ときの分水嶺を知っておくこと
おわりに
序論 言語と教育の限界をめぐる思想史序説[森田伸子]
一 教育に先立つ言語――語りえないものとしての言語
二 神学的言語――もの/心の言葉(内的な言葉)/ことば(外的な言葉)
三 近代教育思想における言語
四 現代言語思想と教育
五 教育と書物
六 おわりに――「告白」という教育
第一章 コメニウスにおける読書論の諸様相――中世/ルネサンス/近代[北詰裕子]
はじめに
一 コメニウスの読書論の位置づけをめぐって――中世・ルネサンスにおける書物と教育
二 コメニウスによる「書物」の位置づけ
三 読むこと、選択すること、書くこと
四 あなたの書物
五 「何を」読むのか
むすびにかえて――書物の氾濫と言語の混乱に抗して
第二章 コンディヤック――観念・思考・記号[上原秀一]
はじめに
一 パルマ公王子のカリキュラム(1)――予備授業
二 パルマ公王子のカリキュラム(2)――予備授業の後
三 教育方法と教育目的における言語の位置
四 国語と言語使用の進化と退化
五 「たわいなさ」を免れる――デリダのコンディヤック論
第三章 フイエの「観念力」と教育――国民形成と古典語[綾井桜子]
はじめに
一 アルフレッド・フイエ「観念力」の哲学の思想史的位置づけ
二 力と活動としての言葉・観念
三 いかなる古典語学習が必要か――文法・文学・記憶・美
四 フランス語作文と国民形成
五 道徳的─美的言語としての古典語――「至高の説得」
おわりに
第四章 ユダヤ思想と〈隔たりと分有〉の言語的経験――マルティン・ブーバーにおける翻訳・伝承・対話をめぐる思考[小野文生]
はじめに――言語への愛
一 声、教え、哲学――生の肯定と刷新へ向けて
二 身もだえ、パトス、経験――時代の痙攣との距離
三 疚しさと疼き――個人的経験から
四 異郷なるものと所有――たったひとつの、私のものではない……
五 故郷たる異郷――埠頭の生
六 〈隔たりと分有〉の言語的経験
七 翻訳、伝承、対話――尽きせぬ思考へ
八 必然と可能のあいだで――むすびにかえて
第五章 シュタイナーにおける言語の芸術性と世界の認識――身体と言語の新たな布置をめぐって[柴山英樹]
はじめに
一 言語における芸術性
二 世界の認識と身体的な芸術行為
三 シュタイナーとマウトナーの言語観の相違
四 言語の創造性――言語と世界の連関
五 言語による教育の可能性――生き生きした現象を言語で表現すること
おわりに――読み書きについて
第六章 言語論的転回と言語の教育をめぐる思想――ソシュール言語学の日本への導入と「読む」ことの教育をめぐって[渡辺哲男]
はじめに
一 小林英夫にとっての言語論的転回
二 小林英夫の「文体論」――言語と「芸術」を同一線上に捉える
三 時枝誠記の「文章論」――作者の表現行為の追体験
四 「文体論」と「文章論」の国語教育論への援用
五 「意味の限定」と「個物の一般化」は「対立」するのか?――西田幾多郎を参照枠にして
おわりに――テクストを「読む」ときの分水嶺を知っておくこと
おわりに
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定価 3,080円(税込)